2014年02月01日 10時32分

松井俊一コラム:NHK新会長を応援する

[NHK新会長を応援する]

 

 NHK籾井勝人新会長が、二〇一四年一月二五日に就任記者会見を行った。そこでの発言が、物議を醸している。一部の政党やマスコミは、新会長の責任を問う声を上げているが、発言内容を吟味すると、新会長の言っていることは至って正論である。

 記者会見での発言内容は、NHKの経営、番組についての基本方針から、番組内容、領土問題、慰安婦問題などに至るまで、NHKの会長としては、かなり踏み込んだものであった。具体的には、@NHKの経営、番組制作については、(放送の公平・公正を旨とする)放送法を遵守する。A番組内容については、現在の番組は民放化しているようであり、検討する必要がある。B領土問題は、海外向けの国際放送で明確に日本の立場を主張する。C慰安婦問題は、日韓基本条約で国際的に解決済みであるのに、それを蒸し返している韓国の対応はおかしい。その他には、首相の靖国参拝について、現状の報道のありかたは疑問であるなど、日本の公共放送として、しごく当たり前でもっともなことばかりである。

本人はその後、従軍慰安婦問題などについて、「就任の記者会見の場で、私的な考えを発言したことは間違いだった」と恐縮しているが、記者側の誘導尋問もどきの質問に対し、個人的な意見と前置きをして自説を開陳したものであり、過度に萎縮する必要はない。今後正々と職務を推進してもらいたいものだ。

筆者に言わせれば、むしろ、新会長の発言に対する、会見の場での報道機関の質問、その後のテレビや新聞報道のほうが、相も変わらず定型的、硬直的であった。まず、会見での記者の質問は、韓国や中国の言いたい放題を鵜呑みにしたようなものが多かった。とりわけ従軍慰安婦問題についての質問などは、諸外国における戦時慰安婦の実情について無知で、それをごまかしながら、低次元の揚げ足取りに終始した。記者の勉強不足が丸出しである。

また、テレビ朝日やTBSの報道は、いつものことだが、反日的で、親韓国・中国の色彩が露骨であった。新聞の論調でも、朝日新聞は相変わらず、売国的スタンスに立って新会長を批判した。ただしその一方では、産経新聞のように、新会長に対して、偏向しているNHKの是正を期待する声もある。政党では、民主党を中心に野党が責任追及の声をあげているが、政権担当能力が全く欠如し、無益有害で日本を破壊してしまった政党が、「責任問題」など口にするのは、笑止の沙汰である。

既に別稿(「軸がおかしいNHK」)でも述べたように、NHKは軸のズレが顕著であると断じているのは、筆者だけではない。現状の日本のマスコミが社会に与えている影響、特に悪影響について、多少なりとも思いを致したことのある人達の間では、ごく一般的な意見である。

例えば、中国の深刻で様々な出来事について、NHKが時に隔靴掻痒の報道しかしないのは、自局番組(例えば「シルクロード」など)の取材や放映で、中国に借りがあるためだ、という見方さえある。さらに、NHKの問題点に関して、筆者が経験したことを言えば、「みなさまの声にお応えします」という、NHKの視聴者向け対応欄に、次のような筆者の「声」を送ったことがある(二〇一〇年九月二九日付)。原文のまま記すと次の通りである。

 

BS1、二〇一〇年九月二七日、午後五:〇〇〜五:二四分ごろの解説番組の件です。解説をした加藤青延氏の解説スタンスに疑問があります。尖閣列島がわが国の固有の領土である旨をはっきりと述べない(少なくとも明確に述べてはいなかった)一方で、「中国の立場からすれば、中国の領土である」旨を数回述べていました。中国の理不尽が明白な今回の事件の解説として、公共放送としてのバランスを失した不適切なものでした。

 翌二八日の民放の番組で、元NHKの池上彰氏がこの事件について、極めて的確、明快に解説されていましたので、少しは勉強されたらいかがでしょうか。なお、加藤氏の解説は、いかにも原稿丸読みのスタイルで、この点でも視聴者の聴く気を削ぐものであったことを申し添えておきます。

 

 以上の通りである。しかしこの「声」に対して、NHKからは、「お応えします」というタイトルとは裏腹に、いまだ回答が無いままである。

現状のNHKは、大胆に改革のメスを入れる必要がある。そのためにも経営トップについては、NHKの生え抜きを排除し、まともな常識やバランス感覚を有する民間企業などの出身者が務めるべきである。新会長はこの問題で辞任する必要はない。そして、軸足が左にずれているNHKを、文字通り公正、中立でまともな公共放送へと是正していくことを期待したい。

(二〇一四年二月一日)


2014年01月20日 17時37分

松井俊一コラム:アベノミクス一年の評価―日本経済の現状

[アベノミクス一年の評価―日本経済の現状]

 

日本経済は、大きな流れで見ると、平成の初め頃から二〇年近くにわたって不振が続き、生産活動も物価も、横ばいないし下落傾向で推移するという、デフレスパイラルの状況に陥っていた。この間、GDPの総額は、世界第二位の地位を中国に譲り渡した。国民一人当たりのGDPでは、日本は依然として中国の一〇倍もあることを考慮すれば、この現象自体はさほど大げさに騒ぐべきことではない。が、相手は非常識な中華思想の持ち主であり、政治体制と経済体制が矛盾している国である。突如として防空識別圏を勝手に設定するなど、世界第二の地位になったことに悪乗りをして、何を言ったり、し始めたりするか分からないという危険性はある。

永きにわたる日本経済の悪循環から脱却を図るべく、一年前に発足した安倍政権は、「アベノミクス」と呼ばれる大胆な経済政策を導入した。アベノミクスは「三本の矢」と称する政策からなる。具体的には、@大胆な金融政策、A機動的な財政政策、B民間投資を喚起する成長戦略、の三本である。この政策は、三本の矢が好循環をすることが出来れば、持続的な経済成長を生み出す可能性はあるものの、一歩間違えば、経済、金融財政状況が格段に悪化するという、大きなリスクを抱えている。

仮にこの政策によって、景気の回復が一過性に止まるようなことになれば、結果は悲劇である。例えば、財政赤字の一層の拡大、円安下の輸出不振による国際収支(経常収支)の悪化、コストプッシュ型インフレの高進、金利の高騰など、様々な弊害がもたらされる可能性がある。

それでは、安倍政権一年後の現在における経済状況はどうなのか。結論を言えば、幸いにして日本経済は回復する兆しが生じつつある。一例をあげれば、円安を要因として、企業収益が増加していることがある。今後、企業収益の増加が、設備投資の増加や雇用者所得の増加をもたらすことになれば、日本経済は、二〇年来の不調から脱して、回復への大きな足がかりを掴むことになる。従ってこのような兆しをいかに大事に育てていくかが鍵になるが、雇用者所得が増加するためには、企業経営者による雇用者所得への経営的配慮(労働分配率のアップ)が不可欠である。従来の常識では考えられないことではあるが、首相自らが企業経営者に対して、雇用者の所得アップの呼びかけを行ったことは、それなりに画期的である。

ただ、日本経済が本当の回復をするためには、とどのつまりは、各種の規制緩和を始めとする、日本経済の構造改革が絶対に不可欠である。抜本的な改革のためには、戦後日本に根付いた三大疾病、すなわち、「平和・安全ボケ」、「閉鎖・排他」、「悪平等」を根絶することが避けて通れない。が、これは各種の既得権益集団と本腰を入れて闘うことを意味する。農業、医薬業界などを代表とする既得権益集団とどこまで本気で対決することができるのか。

自民党は各種の既得権益集団と浅からぬ係わり合いを持つ政党である。農業や医療を始め、最近、再びこれら集団の動きが活発になり始めている。アベノミクス完遂のための最大の関門は、自民党自身の中にあると言って過言ではない。

かつて民主党との選挙争いに破れ、野に下って身に染みた教訓が本物であったか否か。本当に試されるのは、むしろこれからである。

                (二〇一四年一月二〇日

 

 

 

 




2014年01月17日 10時30分

沼津黌平成25年12月号



2014年01月05日 05時36分
平成26年日の出・象山・狩野川・街
 同期生明けましておめでとうございます。
狩野川越のの象山から登る日の出です。
上の段の「同窓会動画ブログ頁」に掲載しました、
又、左の画像をクリックでも動画にいきます。
以上 正月の沼津の日の出です。

2014年01月02日 01時51分

松井俊一コラム26年1月号:「組織か運営か」

[組織か運営か]

 

 企業の組織には、必ず何らかの目的や狙いがある。例えば人事部であれば、「適材適所の人材配置、人材の育成、公正な人事評価などを、効果的、効率的に実現する(ための組織)」ということになろう。

 組織の変更には相応のコストがかかる。単に施設やレイアウトの変更といった物件費(カネ)にとどまらない。組織をスムーズに運営させるまでに必要な時間、その間に生じる種々の混乱、人材育成に要する時間などまでを含めると、「組織変更のコスト」は見た目よりはるかに大きい。もちろん組織の変更は必要に応じて実施すべきである。が、一方でコストの観点からすれば、組織は長持ちできるものであるなら、それに越したことはない、ということになる。

 組織変更の是非を判断する重要なポイントは、現在の組織の下で生じている不都合の原因が、「組織」にあるのか、それとも「運営」にあるのかを見極めることにある。そのためには、現在の組織の運営が果たして当初の目的や狙い通りになされているのか、厳正なチェックと評価を行うことが不可欠である。

 「運営」は、運営する人、とりわけ組織の長の問題に帰着する。そして運営のチェックは必然的に運営する人の評価につながることになる。辛いことかもしれないが、不都合の主因が運営のマズさにあるのなら、変えるべきは、組織ではなく人である。運営のマズさを不問にして、組織の変更を行う、さらには運営する人に合わせて組織を変えるといったような事態は、まさに本末転倒である。企業の「組織」と「運営」では、どちらが大切か。究極の択一をするならば、それは間違いなく運営である。

 最近、組織と運営に関する無知蒙昧が見事に露呈した事例があった。東日本大震災、福島原発事故の発生時に、当時の首相、菅直人がとった行動である。いまだ記憶に新しいが、菅は事故に対応するためと称して、既存の組織の運営の仕方にさしたる工夫や努力を払うことなく、次から次へとやみくもに新しい組織をつくった。そして政府を大混乱に陥れ、その結果、天災である震災が人災に転化されてしまった。実はこの時、日本が行うべきであった方策は、組織を変えることではなく、組織と運営について、理解、応用する能力が全く欠如した、菅直人を変えることだったのである。

 さて、企業の各組織(部署)の多くには、組織としての権限が付与されている。その理由は企業がその目的を達成するために、必要だと判断されたからに他ならない。見方を変えれば、権限を与えられた部署がその権限を充分に行使してこそ、企業の目的が達成されると言うこともできる。

 ただでさえ経営を取り巻く環境の変化が、複雑かつ目まぐるしい昨今である。経営トップは急激な環境の変化はもとより、緩慢であっても着実に進行するであろう変化の兆しを、いち早く察知しなければならない。そして、たとえ見た目の動きは緩慢であっても、それが構造的な変化であるならば、早め早めに確たる対策を打つ必要がある。

 しかしながら、変化の見極めと対策の断行は言うべくして容易ではない。しかもこの手の意思決定はボトムアップ方式には馴染まないことも多い。とりわけ、緩慢でありながらも着実に進行する変化については、数字やデータでの裏付けが難しく、意思決定の究極の決め手が「感性」によらざるを得ない場合も多いからである。

 従って、経営環境の変化の見極めと対策の断行は、まさにトップ自らに課せられた重大な職責である。今後の企業経営においては、このような意思決定を下すべき事態がますます増えていかざるを得ないであろう。だとすれば、その経営を支えるためにも、各部署が予め付与された権限内の事項については、速やかに決断し、権限を行使するという必要性が益々高まっていくことになる。

 そして権限を行使し、その結果不都合が生じた場合には、権限を行使した部署が責任を負う。これは何も難しい話ではない。権限の濫用を防止するための当然の理である。権限を付与されているにもかかわらず、やたらトップや他の部署に相談することが多いような部署は、親切でも民主的でもない。権限の行使を留保して、責任を他にヘッジしているだけである。このような部署から生じる不都合は、部署(組織)そのものに原因があるのではなく、むしろ運営する人に原因がある場合が多いと言って、あながち過言ではないのである。

(二〇一四年 一月二日)  


2014年01月02日 01時40分

謹賀新年:平成26年1月 元旦

2013年12月25日 11時25分

がんばる学校応援事業

伝統文化で新年準備

 沼津第一中 料理や書き初め

 沼津市立第一中で24日、日本の伝統文化に触れる授業が行われた。全校生徒約150人が、ミニ門松、フラワーアレンジメント、正月料理、絵手紙の年賀状づくり、書き初めの5講座で、新年を迎える準備を体験した。

 体験授業は市の「がんばる学校応援事業」の一環で、地域の専門家や生徒の保護者が講師を務めた。正月料理づくり講座では、約30人がサツマイモを使った「フルーツきんとん」「くるみ入り田作り」「柿なます」の3品に挑戦した。慣れない手つきで包丁を持ち、ダイコンやニンジンの皮をむいたり、千切りしたりした。料理が完成すると、丁寧に皿に盛りつけた。

 家でも料理をするという後藤颯人さん(15)は「正月料理は初挑戦。手間はかかるけど、家族にも食べさせたい」と笑顔で話した。

《靜新平成251225()朝刊》


2013年12月16日 12時49分

躍る雲 沼津市立第一中学校 学校だよりbP0


2013年12月

沼津第一地区コミ広報紙第57号


2013年12月03日 09時21分

松井俊一コラム12月号「沼津東高等学校への思い」

[沼津東高等学校への思い]

 

これから記す内容は、沼津東高等学校の関係者から顰蹙を買うことになるかもしれない。筆を執ることに多少のためらいもあった。が、生来のへそ曲がりゆえ、冥土への道のりが短くなるにつれて、卒業生の中にはこのような意見の者もいたことを言っておいた方がよいかもしれない、との思いが強くなり、あえて記すことにした。

筆者は、昭和三六年の四月から三九年三月までの三年間を、静岡県立沼津東高等学校で学んだ。家内も途中で東京の高校へ転校はしたが、入学は沼津東高であり、妹とその夫も、また沼津東高の卒業生である。当時の校舎は、いかにも戦後の急ごしらえの木造で、旧制沼津中学校の跡地にあり、JR沼津駅から徒歩一五分程度の距離にあった。旧制沼津中学校は戦災で殆どが消失したため、辛うじて焼け残った正門の門柱とプールが、わずかに当時の面影を残すのみであった。学校の東には香貫山が迫り、北には狩野川が流れ、その奥には富士山がそびえている。そして西の彼方には駿河湾があり、手前には千本松原が横たわっている。四季の移り変わりを肌で敏感に受け止めることができる立地であり、学び舎としての環境はまことに申し分なかった。

今改めて思い返してみても、東高で得ることのできた最大の財産は、友人であった。生徒は、沼津市内はもとより、富士川以東、御殿場方面を含め、伊豆半島全域から集まっていた。いわゆる「越境入学者」も多く、JR沼津駅近くの街中で育った筆者には、大げさに言えば、日本にはこれほど多様、多彩な人間がいるのかと驚くくらい、数多くの友人達と交遊ができ、新鮮な刺激を受けることができた。現在でも親交を続けている東高時代の友人達は、筆者のかけがえのない財産になっている。

当時でも、学区外からの入学は否ということにはなっていたが、規制の実態は緩やかなものであったように思う。筆者は、常々、「平和・安全ボケ」、「閉鎖、排他」、「悪平等」の三つの因習が、戦後の日本を蝕んだ最悪の「生活習慣病」だと考えている。その観点からしても、生徒が沼津市などに限定されることなく、県東部の地域からあまねく集まることは、素晴らしいことである。当時の東高の最大の長所であり、かつエネルギーの源は、実は、「生徒どうしの切磋琢磨」にあった。そして、校舎が沼津駅から徒歩圏内にあることは、電車やバスで通学する生徒にとって、特筆すべき利便性だったのである。越境入学大いに結構。そればかりでなく、むしろ本来の学校のあり方は、「学区」などは設けずに、オープンにすべきなのだ。

いまだに疑問に思うのだが、何故東高は校舎を移転させてしまったのか。周囲の環境が悪化したからという理由を、側聞したことがあるが、それは明らかに嘘であろう。ちなみに、環境を問題視するのであれば、例えば東京都立新宿高校を見るがよい。旧沼津東高がいかに恵まれた環境にあったか、一目瞭然である。また、東海大地震と津波を想定し、高台に移転したとも言われるが、だとすれば、依然として沼津市内に立地している小、中学校や高校などは、どういうことなのか。

さらに、同じ場所で立て替えるとコストが多くかかるため、という理由も聞くが、一時的なコストの問題と、長期にわたって日本の屋台骨を背負うべき優秀な人材を育成することの重要性とを比較すれば、どちらを重視すべきかは、自ずと明らかである。まさか、特定の建設業者や団体の、利害や思惑が絡んだ移転であったとは思いたくないが、いくら考えても、校舎を移転させた理由が、いまだに納得できない。

ひるがえって、JR沼津駅からさらにバスに乗らなければ行けないような、現在の立地は最悪である。理由は明快、この立地が遠方から通学する上での大きな障害となっているからに他ならない。現在のような学校のレベル低下をもたらした原因は、もちろん、理数科の設置に遅れをとった、学校運営の哲学、基本方針が的確でなく、先見の明に欠けていた、ことなども考えられ、決して校舎の移転ばかりが原因ではないと思う。が、自分の愛すべき母校の基盤が停滞していることを聞かされるたびに、いかにも残念で寂しい気持ちになる。

筆者はいささか複雑な思いをもって、旧制沼津中学の跡地にあった学校を「旧制沼津東高等学校」、現在の学校を「新制沼津東高等学校」と呼んでいる。そして筆者の母校は、「旧制沼津東高等学校」なのである。

(二〇一三年一二月三日)

 


2013年11月18日 17時02分

沼津市立第一中学校 学校たより11月号

2013年11月18日 17時02分

沼津市立第一小学校学校たより10月号

2013年11月04日 04時14分

j松井俊一コラム「軸がおかしいNHK」

[軸がおかしいNHK]

 

最近NHKのテレビが、以前にも増して、おかしくなっている。民放各局のレベルのひどさは今さら言うまでもないが、仮にもNHKは、「公共放送」の看板を高々と掲げ、決して安くはない受信料を国民から徴収している。民放の模範となるような、より高い品質が保持されて当然であるにもかかわらず、最近は、お笑い芸人の多用など、むしろ民放にすり寄るようにして、益々レベルダウンしている。

具体的には、第一に、NHKのCMと言うべき自局番組のPRが、あまりにも多いことである。番組の合間毎に、これでもかと言うほど、PRを行っている。ひどい時は、これが延々と数分間にも及び、地上波、BSを問わず、頻繁に行っている。とりわけ、NHKが毎回売り込みに躍起となっている朝の連続ドラマについては、ひどさが目に余る。

筆者は、俗に言う「朝ドラ」には、全く興味のない視聴者の一人である。この手のドラマは既に四〇年以上にわたって、全く視聴したことがない。朝ドラのPRが始まると、これを見たくないので、チャンネルを変更することが多いが、変更した先のチャンネルでも同じPRを行っているということが頻繁に起こる。こうなると理屈抜きで不愉快である。こういう視聴者の迷惑をNHKは、本気で考えたことがあるのだろうか。NHKの態度は、日本国民であるならば、朝ドラを見るのが当然といった風にさえ思える。いいかげんにして欲しい。視聴者はNHKのPRを見るために視聴料を払っているのではないのだ。

第二は、まさに報道機関としての本質に関わる問題である。テレビ朝日、TBSなどの民放ほどにひどくはないにしても、特定の問題についての報道姿勢に、偏向した意図や恣意が働いているのではないかと、疑われるケースが時折ある。

その代表例は、「インタビュー」への取り組み姿勢である。各種のインタビュー放映の中には、賛成、反対の意見数や内容などが、きちんと全体の傾向を反映したものになっているのか、疑わしいケースがある。分かりやすく例をあげて言えば、例えば国民の過半数が賛成している問題でも、反対意見の者を三名登場させる一方で、賛成の者を二名に止めれば、それを見た視聴者は、国民全体では反対意見の方が多いのではないか、という錯覚に陥りやすい。仮に人数は相応のバランスがとれている場合でも、賛成者と反対者の発言時間がアンバランスであれば、同様な錯覚は起こりやすい。実は報道機関の恐ろしさはここにある。報道機関は運営の仕方ひとつで、国民の判断をミスリードすることが可能なのである。

「政治討論会」もインタビューに似たところがある。政党が一堂に会して行われる政治討論会において、通常は冒頭などに、各党の主張を披露する場面がある。この時、各党の持ち時間は概ね同等に割り振られていることが多いが、このやり方には疑問がある。国民の僅か一%程度の支持しか得ていない泡沫政党が、国民の数十パーセントの支持を受けている政党と同じような持ち時間で意見を述べる場を与えられるのは、一見公平のように見えるが、果たしてそうであろうか。実質的には、泡沫政党に過大な持ち時間が与えられていることになり、むしろ政党支持率を加味して各政党の発言時間も比例配分するほうが、より合理的と言える場合がある。

さて、NHKのみならず、現在の日本の報道機関は、筆者に言わせれば、既に「報道の自由」を飛び超えて、「報道の濫用」の領域に入ってしまっている。それに対して僅かでも歯止めをかけたり、節度を求めたりすると、「国民の知る権利」を盾にして、反対、大騒ぎをする。自分達の行動を少しでも束縛する恐れのあるものは、とにかく排除するという姿勢である。

しからば日本の報道機関に問う。「国民の知る権利」とは、報道機関にとっては、すなわち「国民に知らせる義務」ということになるが、果たして報道機関はこの義務を充分に履行しているのだろうか。答えは否である。日本の報道機関は最近でもとりわけ次の二点で、国民の知る権利を明確に阻害している。 

 第一に、日本の政治に対する近隣各国、中でも中国、韓国、北朝鮮三か国の反応は、各々の政府の報道官を通じて頻繁に伝えるのに対して、日本政府サイドの報道官による主張は、殆ど報道されることがない。これでは、肝心の日本国民が、日本政府の立場や方針を正しく把握することは困難である。

 第二に、より重大なことは、例えば在日韓国人などに対する日本人の抗議活動(ヘイトスピーチ)など、特に近隣三か国が過剰反応をする恐れのある事件については、黙殺を決め込んで、報道をしていないことである。中国漁船が領海侵犯と狼藉を行った尖閣諸島事件の際も、日本国民が中国に対して起した抗議行動について、殆ど報道することがなかった。この場合、「国民の知る権利」を標榜している報道機関は、果たしてどういう理屈でこの重大な不作為や黙殺を釈明するのであろうか。どちらかの肩を持てと言っているのではない。このような出来事が、日本の国内で勃発しているという事実を、事実として国民に知らせるのが、まさしく報道機関の責務ではないのか。

さらには、第二の逆で、閣僚の靖国神社参拝問題などに見られるような、過剰報道もある。そもそも、靖国神社を参拝するか否かは、個人としての考え方の問題である。他者、まして他の国がとやかく言うべき問題ではない。祖国のために命をささげた人に、哀悼、畏敬の念を抱くのは、日本人として当然の心情であり、閣僚の中には親族に殉死者がいる場合もある。本来は報道にすら値しない、あるいはむしろ報道すべきでないような出来事を、ことさらに取り上げている。近隣三か国に対して媚を売り、言いがかりを助長、扇動しているとしか思えない対応である。

「報道の自由」は、決して「報道の放任」ではない。もちろん、「報道の濫用」は厳にあってはならないことである。日本の報道機関が持つ危うさは、実は、報道の自由を標榜しながら、巧妙に報道の濫用を行っていることにある。現在の報道機関に必要なものは、まさに「見識」と「良識」である。そして、見識とは「ものごとの本質を見抜く力」であり、良識とは「健全な常識」なのである。

(二〇一三年一一月四日)

 


2013年11月03日 05時03分

内田文喬弁護士「秋の受章」(沼津市立第一中学校8回期生卒)




 旭日小綬章
(人権擁護・弁護士功労)

 内田文喬(うちだふみたか)氏

(人権擁護委員、元日本弁護士連合会常務理事、沼津市)

 人権問題時代を反映

 人権擁護と社会正義の実現が弁護士の使命と考え、活動してきました。人権擁護委員として、主に子どもたちを対象にした悩み相談や人権教室などに取り組んできました。この受章が地道に活動する県内約300人の委員の励みになればと思います。いじめやインターネット上での中傷など、人権の問題は時代を反映しています。変化に対応できるよう、常に学んでいきます。

《靜新平成25113()秋の受章》


2013年10月18日 11時29分

沼津黌9月号(沼津市立第一小学校だより)

2013年10月02日 09時07分

松井俊一コラム:25年10月青首と桃太郎

[青首と桃太郎]

 

青首と桃太郎。ご存知の通り、日本全国を席巻した大根とトマトである。

青首大根は首の部分が緑色の大根で、肉質は柔らかく、辛味が少なくて、煮崩れがしにくい特徴がある。桃太郎トマトは、青臭さや酸味が殆どない、フルーツ感覚のトマトである。さらに最近では、これよりも一段とフルーツ色の強いトマトも出現している。青首も桃太郎も、その特徴が多くの人に歓迎されたからこそ、全国制覇を成し遂げることが出来たのであろう。しかし待てよ、である。世の中には、例えば筆者のように、青首より辛味のきいた大根や、桃太郎より酸味のあるトマトを好む人間も、いるのである。

大根には、「下ろす」という調理方法がある。言うまでもなくソバなどの薬味として用いる場合である。薬味としてのダイコンは「辛味」が命であり、辛味がなく薄甘い大根では、とてもではないが、さまにならない。昨今は青首以外のダイコンを店頭で見つけるのが難しいため、ダイコンを薬味として用いる場合には、仕方なく、先端の部分を皮ごと下ろして辛味を出す工夫をしている。が、これとても辛味は不十分である。    

また、トマトは、外殻と中身の双方にしっかりとした歯ごたえがあり、かすかに酸味のあるものこそ、筆者の好みであり、幼い頃から好んでトマトを食べるようになったのは、トマトの持つ、この特徴のゆえである。しかし、最近のトマトは外殻がしっかりしているものでも、中身は柔らかいものが多い。酸味も殆どないため、トマトを旨いと感じることが、年々薄れてきている。

トマトなどの野菜に限らず、最近は、ミカン、イチゴ、リンゴなどの果物類も、総じて酸味が薄れ、甘みだけが増してきているものが多い。しかし酸味がなく、ただ甘いだけのミカンやイチゴは本当に旨いと言えるのだろうか。甘さだけの勝負なら、それこそ砂糖を舐めればよいではないか。ミカンやイチゴが旨いのは、甘味と酸味のバランスがほどよくとれているからに他ならない。酸味があってこそ、甘みが生きてくるとも言えるのである。筆者は幼いころ、ミカン、とりわけ伊豆で採れる酸味のきいたミカンが好物であった。しかしミカンが甘くなるにつれて、年々食する機会が減ってきて、最近では、沼津の「西浦ミカン」を入手できた時に、食べる程度になってしまった。

味の画一化だけでなく、総じて日本の野菜や果物は、形状の画一化も進められているようだ。梱包や輸送時、店頭に並べる時の効率などを考えてのことだろうが、果たしてこれだけでよいのだろうか。消費者のニーズは、必ずしも「金太郎飴」と化した野菜や果物にばかりあるのではない。品揃え、すなわち、幅広く選択の余地が大きいということも、重要なニーズなのである。この点では消費者のニーズが充分に満たされているとは言い難い。

消費者にとって選択の余地が狭められていることは、味と形だけでなく、価格の面でも同様である。日本では殆どの農産物が、ひたすら高価格化のみを目指しているように見える。しかし、例えば一個百円のトマトのほかに、形は悪く不揃いだが、価格は安いといった類のトマトも、もっともっと店頭に並べられてよいのではないか。

日本の農業生産者、農業団体、大型小売店などには、作り手や売り手側の論理だけでなく、もう少し、消費者のニーズに対して真摯に応える、本当の意味での消費者志向があってよいと思われる。

(二〇一三年一〇月二日)


2013年10月01日 16時27分

躍る雲平成25年9月12日号
沼津市立第一中学校だより



2013年09月14日 16時06分

同期生・川島泰彦君ラトビア関係者として来沼(栗原市長の隣)

 ラトビア大使館関係者らが来沼

 15日までの企画にちなみ市長表敬も

 東欧バルト三国の中央に位置するラトビア共和国の関係者が十一日、市役所を表敬訪問し、栗原裕康市長と面会した。

 沼津駅南口前の沼津商連会館ビル一階のギャラリーぷらざで十五日まで開催甲の「ラトビアウィークin沼津」にちなんでのもの。当初は駐日ラトビア大使のノルマンス・ペンケ氏が来沼の予定だったが、家庭の都合で急きょ帰国したため、同国大使館次席のダナ・ルダカ氏が市長を訪れた。

 ルダカ氏は通訳を介して「ラトビアのことを沼津の皆さんに紹介できたら」と話し、栗原市長は「ラトビアはソ連に占領され、スターリン時代も経験しています。ラトビアの人達は、そうした、日本人にはない体験を持っている。今後、日本との交流が強化されることを期待します」と応じた。

 また、市長はルダカ氏に英語で話し掛けながら沼津ゆかりの記念品を渡したほか、ルダカ氏が富士登山をしたことを知ると「山頂まで登りましたか」と英語で尋ねた。

 ラトビアは平坦な地形で、最高峰の山も標高三〇〇b級であるため、欠席したペンケ大使も富士山には強い関心を抱いているという。

《沼朝平成25912()号》


2013年09月14日 05時37分

同級生交歓:文芸春秋平成25年10月号「東高第23期生」




 旧制沼津中学から受け継ぐバンカラな校風、下駄履きで闊歩する東高生は沼津の名物であった。東海大地震・津波を想定して市街地から東名高速道路下の高台の現校舎に移転した第一期生が我等である。

 日本ペンクラブ歴代会長二名、大賀典雄氏など著名な先輩が在学中に講演に来校、運動部のインターハイ優勝、国体出場と文武両道に秀でた同級生も還暦を迎えた。後藤(行宏)君は地元で家業を継ぎ有力企業に発展させ、同姓の後藤(正博)君は世界最優良と称される地方銀行の大幹部として地元企業を金融面で支援している。

医師も多く、東北大学病院から仙台郊外で整形外科を開業した浅井君や関東逓信病院から細君の地元、松島で透析クリニックを手掛ける中山君の両名は、自宅・医院が共に大震災で被災したにも拘らず翌日より昼夜兼行で診療を開始。東芝の主幹産業医を勤めた本多君は、医師として労働衛生コンサルタントとなり、秘かに作家への転身も目指す。

高野山大学から金剛峯寺に残った五味君は、阪神淡路、中越、東日本と震災の度に持ち前のバイタリティーで被災者を物心両面から支えている。

一橋大学の同じゼミでも一緒に学んだ園部君は、欧米勤務が長く、丸紅常務から系列リース会社の社長となり、渡邉は三菱商事、米国投資銀行、世界銀行勤務を経て、帰国後は事業再生、企業買収・提携等のコンサルタントとして世界中

を飛廻り、東北復興の案件にも微力ながら携わっている。(渡邉)

【文芸春秋2510月号:同級生交歓】


2013年09月01日 09時45分

松井俊一氏9月コラム:広告界の体質

[広告業界の体質]

 

去る八月六日付けのコラム(「下品なテレビCM」)について、高校時代の同期生Eさんから、有難いご意見を頂戴した。Eさんは、かつて広告代理店のD社に勤務されていたようで、いわば広告業界のプロである。ご意見の要旨は、概ね次の通りであった。

@人々を不快、不安にする広告は、印象が強ければよいとのアメリカで開発された広告技法によるものである。視聴者は眉を顰めながらも、結局は当該商品を買っている。Aアメリカではコマーシャルをより多く投下した方が勝つとされている。これが民主主義の現実である。B日本のテレビ放送に、俗悪番組や知的レベルの低い番組が多く、また、「お笑い芸人」が多用されているなどの原因は、テレビ各社が経済原則に基いて「コスト・カット」をし、安価に視聴率をとろうとしているためである。C広告主やテレビ局の経営者たちは、視聴者のレベルは低いと考えている。Dテレビが日本国民を愚民化した面もあるが、それ以前に日本人は占領政策で愚民化されていたのではないか。E広告業界にも当然倫理綱領はある。虚偽広告や、反社会的表現は禁止されており、自主規制な監視機関もある。「キンチョール」のコマーシャルはこれらをクリアーしたものであり、米国に比べればおとなしいものである。F広告業界の社会的存在価値は、商品・サービスの最新情報を提供することと、報道機関としてのメディアを下支えしていることである。広告がなければ、日本の新聞の価格は二倍半の月額一万円以上に、テレビとラジオはNHKだけにするか、ペイTV、またはオンデマンド方式ということになる。Gテレビを視聴することは強制されてはいない。見たくない人は見なければよいだけの話。H広告を非難することは簡単だが、対案はあるのだろうか。

ご意見は多岐にわたるが、要するに、日本のテレビCMやテレビ番組が下劣である原因は、もともとCMの先駆者であるアメリカが悪いこと、テレビ視聴者、広告主、広告代理店のレベルが低いこと、経済第一主義や悪しき民主主義などに由来する、とのことである。平たく言えば、「日本のテレビ番組やCMが下劣であるのは、飽くまで外部要因によるものであって、広告業界が悪いのではない」ということであろう。なお、文中でアメリカが相当に悪者扱いされているが、米国の中でも、筆者がかつて生活していた東部十三州は、敬虔なキリスト教徒やWASP(White Anglo‐Saxon Protestant)が多く、日本よりはるかに保守的で厳格な土地柄である。

銀行勤務時代、今は故人となってしまったが、筆者には親しくしていたD社勤務の友人がいた。彼がよく口にしていたのは、「広告業界は、会社の形態こそとってはいるが、実態は個人事業者の集合体のようなものであり、企業としてのガバナンス(統治)が働きにくい」ということであった。日本で有数のガリバー型企業が、自浄能力なく暴走する業界は、「百害あって一利なし」である。

D社には「鬼十則」と言われるものが存在するようである。一九五一年、四代目の社長によりつくられた社員の行動規範である。一部を紹介すると、@「仕事とは、先手先手と働きかけていくことで、受身でやるものではない」A「大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする」B「取り組んだら放すな、殺されても放すな」、などといった、挑発的なものである。さらに、一九七〇年代に提唱された「戦略十訓」なるものには、@「もっと使わせろ」A「捨てさせろ」B「無駄使いさせろ」C「混乱をつくり出せ」、などが掲げられている。業界の暴走体質を彷彿とさせる規範である。

実際のところ、D社は、従業員の過労死自殺事件(一九九一年)を起こしたり、公正取引委員会から業界における独占化が問題視(二〇〇五年)されたり、元部長が知人の経営する会社から一億六千万円をだまし取った疑いで逮捕(二〇一一年)されたりする事件を起している。広告業界における「コンプライアンス(法令順守)」や「コーポレートガバナンス(企業統治)」は、有名無実であるようだ。

筆者の勤務していた銀行業界もさして誉められたものではないが、国民経済の視点に立ち、エネルギー、鉄鋼などの素材型産業から、自動車や電機の組み立て加工型産業に至るまで、日本の屋台骨を支える産業に資金を供給して、戦後の日本経済の発展に多少なりとも貢献してきたという自負や、公共性の高い業務に携わっていることの自覚と自浄能力は、はるかに有している。

「テレビを視聴することは強制されてはいない。見たくない人は見なければよいだけの話」は、この手の議論によく使われる常套句である。あえてそこまで見たくなくても、勝手に玄関をこじ開けるようにして、次から次へと一般家庭の中へ入り込んでくる、現在のテレビ放送の押し付けがましい実態こそが問題なのに、である。

また、「広告を非難することは簡単だが、対案があるのか」との問いが投げかけられたが、答えはある。その一つは、Eさんも言及しているように、テレビとラジオは、NHKと、ペイTV、またはオンデマンド方式だけにすることである。そうなれば、料金を払ってまで見ることに耐えられないような低品質の番組は、自ずと淘汰されることになるからである。そして、何よりも有効で抜本的な解決方法は、コラムにおいて筆者が述べたように、下品なCMを流している会社、下品な番組のスポンサーになっている会社の商品を、消費者が断じて購買しない、ということである。

(二〇一三年九月一日)


2013年08月12日 12時45分

平成25年度第29回香陵ゴルフ大会案内


2013年08月06日 04時00分

松井俊一コラム「下品なCM」
[

[下品なテレビCM]

 

テレビ放送を視聴していて、下品で不愉快なCMを見せつけられることが頻繁にある。

下品なCMの代表格は、殺虫剤メーカーのそれである。例えば、中年女性がいかにも品のない踊りをしながら、商品の宣伝をしているものなどである。これを見て、商品の購買意欲を高める視聴者は果たしてどれほどいるのだろうか。仮にいるとしても、それは大阪地区のごく一部の人間だけのような気がする。筆者の場合は、下品なCMを見せつけられる都度、この会社の商品は買うものか、という気持ちを新たにしている。

はっきり指摘すると、下品なCMの主はキンチョウを始めとする各社である。何故この業界は、競うようにして下品なCMを流すのであろうか。視聴者に受けているとでも思っているならば、それはとんでもない思い違いであり、眉をひそめている視聴者の方が圧倒的に多いはずである。呆れたことに、普通の製薬会社までもが、虫除け商品については、いかにも下品な歌い方をするCMを流している。

そもそも日本のテレビCMには、商品やサービスそのものが、公の電波に乗せるべきではないと思われるものが幾つもある。例えば、パチンコ、生理用品、予備校などのCMである。パチンコについては、親が夢中になっている間に、連れてきた子供が誘拐されたりする事件や、自動車の中で待たせていた子供が、熱中症で死亡したりする事故が発生している。北朝鮮との不透明な関係が噂されたりもしており、パチンコが日本経済の健全な発展に貢献している産業であるとは、微塵も思えない。アメリカでは、タバコやウイスキーですら、テレビによるCMが禁止されている。日本のテレビ局はいかにも脇が甘く、社会に対して無責任であるとのそしりを免れない。

CMだけでなく、日本のテレビ放送には、人の弱みや痛みをもてあそぶ俗悪番組や、知的レベルの低い「井戸端会議」のような番組があまりにも多い。そしてこれらの番組の多くを支えているのは、さしたる芸も能もない「お笑い芸人」達である。最近の民放には、テレビ東京の一部の番組を除き、良質な啓蒙番組や教養番組が極めて少ない。視聴した後で、単なる時間の浪費に過ぎなかったと、後悔させられるような番組が大半である。日本人の白痴化を推進している原動力の一端は、間違いなく現在のテレビ放送が担っている。

さらに、特定の政党をターゲットにして批判するなど、偏向した政治姿勢を露わにしたため、当該政党(自民党)から取材禁止を受けたようなテレビ局もある。かのオーム真理教事件で、オーム側に情報を漏洩し、坂本弁護士一家の殺害を誘発した、あのTBSである。政治に関する番組で、偏向が目立つテレビ局は、テレビ朝日もまたしかりである。他方で日本テレビやフジテレビは、瞠目するような質の良い番組が少ない。そしてNHKをも含めたテレビ局の全てが、無節操に、「百害あって一利なし」の韓国ドラマを垂れ流している。

公共放送であるNHKについては、最近、番組の低俗化が顕著である。また、NHKは自局番組の宣伝がやたらに多いが、いいかげんにしろ、である。視聴者はNHKのCMを見るために視聴料を払っているのではないのだ。

このところ、若者のテレビ離れが顕著と言われる。このような日本のテレビ局の惨状を見れば、当然の帰結であろう。このままであれば、これからも、若者のテレビ離れは進み、インターネットへの傾斜がますます強まっていくものと思われる。

テレビ局の現状を批判すると、この業界は必ず「言論の自由」や「報道の自由」を盾に取って、言い訳と抵抗をする。彼らの言う、言論の自由や報道の自由の実態は、「言論の放任」であり、「報道の濫用」であるにもかかわらず、である。

結局のところ、下品なCMや低俗番組を一掃できるのは、視聴者しかいないのかもしれない。その決め手は、下品なCMを流している企業や、低俗番組のスポンサーになっている企業の製品を、一切購入しないということである。

(二〇一三年 八月六日)


2013年07月27日 17時48分

平成25年7月27日(土)山村君・端山君・長谷川
沼津夏祭りにて端山氏と山村氏と長谷川。

尚、上段の同窓会動画ブログに別の写真掲載。
明日、写真集2に多数の写真をアップします。
又、↓の画像をクリックしますと、沼津音頭入りのスライドに行きます。



2013年07月22日 16時16分

松井俊一氏コラム[安倍政権の評価―ユニークな物差しを使って]

[安倍政権の評価―ユニークな物差しを使って]

 

 二〇一三年七月の参院選は、自民党の圧勝、民主党の大敗に終わった。民主党は獲得議席が一七にとどまり、結党以来の最低で、文字通りの歴史的敗北である。民主党の惨敗は、政権を担当した三年余における、数々の売国的、亡国的悪行を考慮すれば、当然の報いであり、驚くには値しない。むしろ獲得議席が0近くまで落ち込み、党が一気に崩壊に向かって滑り出したとしても不思議ではなかった。今後の党の動きを注視したい。

 その一方で、安倍政権についてはどう評価すべきか。この際、政権の良し悪しを評価する一つの尺度として、ユニークな物差しを採用してみたらどうであろうか。その物差しとは、中国、北朝鮮、韓国、ロシアの近隣四か国が、日本の政権を警戒しているのか否か、平たく言えば、彼らの評判が良いのか悪いのか、というものである。

この近隣四か国は、チャンスがあれば日本の国力を弱体化しようと、虎視眈々としている。中でも彼らが一番神経を尖らせているのが、日本の防衛力である。日本の軍事力が脆弱で、自国の防衛もままならないような、「五体不満足な国家」であればあるほど、彼らは自分達のペースでやりたい放題ができることになる。中国による尖閣諸島への侵食、韓国による竹島の不法占拠などは、まさにやりたい放題の代表例である。

日本が憲法九条に象徴されるような、「少女趣味的平和主義」を唱えることは、近隣四か国は大歓迎である。この「空念仏」は、日本の防衛力を弱体化させるのに好都合の理屈として悪用できるからである。その意味では、「空念仏」を唱えている、日本の社民党、共産党、民主党などは、四か国にとってはまことに愛すべき政党ということになる。

逆に日本が、「五体満足な主権国家」、すなわち、「自分の国は自分で守ることができる、あたり前で常識的な主権国家」を目指して、防衛力を整えようとすると、たちまち「右傾化」、「軍国化」などと大騒ぎをする。日本の閣僚の靖国参拝という、内政問題についてまで次元の低い干渉を堂々と行い、中国に至っては、自国の非民主的で人権無視の憲法や、強烈に増強中の軍事力をさておいて、日本の憲法改正への動きを非難するのだから、笑止の沙汰である。

日本のマスコミが、少女趣味的な平和主義を叫ぶことも、四か国は大歓迎である。具体的には朝日新聞、毎日新聞などのマスコミは、四か国の応援団の役割を立派に果たし、彼らの傍若無人ぶりをますます助長する結果をもたらしている。日本の弱体化に情熱を燃やしているとしか思えない、これらの政党やマスコミの本籍は、日本ではなく、中国や朝鮮といった外国にあると見たほうが妥当のようだ。

それでは、近隣四か国の評価を物差しにして、現在の安倍政権を見ると、どうか。近隣四か国は、安倍政権に対して警戒感を強めている。評判も悪く、「右傾化」、「軍国化」などと非難している。ということは即ち、安倍政権は、久しぶりで日本に誕生した、「まともになり得る政権」であると言える。とりわけ領土問題に対する取り組み方針は今のところ是である。この方針は微塵も崩すべきでなく、むしろさらに強化すべきである。

ただし、安倍政権に対して今後しっかりと注視していくべき点も、数多くある。まず、自民党が自分達で言うほどに、生まれ変わっていないとすれば、過去の歴史の繰り返しで、またぞろ派閥の長老や族議員たちが頭をもたげ、跳梁跋扈を始める懸念がある。俗に言う「日本農民党」などの復活である。さらには、農業、医療、郵便、電力の業界など、「既得権益集団」の横槍に屈することなく、これらに抜本的なメスを入れ、本当に日本の構造改革を断行できるのか。また、農業を始めとする国内の既得権益集団の圧力を跳ね返し、TPPに筋を通した対応ができるのか。さらには、中国、韓国に対して「戦略的互恵」などと言う、非現実的な「言葉のまやかし」を、きっぱりと捨て去ることができるのか、などなどである。

政権の今後を、これからもしっかり注視していきたいと思う。

(二〇一三年七月二二日)


2013年07月12日 06時53分

日記のタイトル

甲子園を懸けた球児たちの戦いが、今年も静岡の夏を熱くするー。

95回全国高校野球選手権静岡大会は13日、草薙球場で開幕する。参加校は学校統合により、昨年から2校減って117校。

清水商と庵原が清水桜が丘、静岡市商と静岡南が駿河総合として新たな一歩を踏み出す。開会式は午後1時から、開幕戦「島田ー東海大翔洋」は午後250分からリニューアルされた草薙球場で2年ぶりに行われる。順調に日程を消化すると、27日に準決勝、29日に決勝を行う。昨秋からしのぎを削る常葉菊川と静岡の最終決戦となるのか。連覇を狙う常葉橘、初制覇を目指す飛龍など第三の勢力が割って入るか。序盤から目の離せない戦いが続きそうだ。

《静新平成25712()

沼津東校等学校

蔵元主将

 夏の大会をイメージしながら、春の県大会の反省点だった守備力の向上に取り組んできた。さらに練習を重ねて自信を付け、チーム全体が最高の状態で本番に臨みたい。

《静新平成25712()

 


2013年07月08日 09時19分

松井俊一コラム:末期的症状のスポーツ団体

[末期的症状のスポーツ団体]

 スポーツ団体のドタバタ劇が相次いでいる。とりわけ騒ぎの大きいのが、全日本柔道連盟(全柔連)と日本野球機構(NPB)である。

指導者の暴力沙汰や助成金の不正受給問題を起した全柔連は、関係者一同の脳ミソが「筋肉化」しているのではないかと疑いたくなるほど、次元の低い醜態をさらしている。このままでは、「柔道は知性のないスポーツ」とのレッテルが貼られそうである。また、二〇一三年のシーズンが佳境に入ってから発覚したプロ野球の統一球変更問題は、NPBが、組織としてもはや末期的な状況に陥っていることを露呈している。

日本相撲協会を始め、どうしてこのようにスポーツ団体の不祥事が頻発するのであろうか。組織や人材面の問題もさりながら、根本的な原因は、戦後の半世紀の間に、日本全体がはからずも感染してしまった、「閉鎖・排他」という「生活習慣病」が、スポーツの世界にまで蔓延してしまっている、ということであろう。

NPBの問題について多少補足すると、NPBは二〇一一年、加藤良三コミッショナーの肝いりで、米大リーグの公式球に近いとされる低反発球を導入した。目的は日本の野球の国際化を促進するためであった。ここまでは是である。ところが、三年目のシーズンを前にして、ファン、選手、球団に何ら告知することなく、統一球を「飛ぶボール」へと変更してしまった。しかも、今年のボールは、いままでより飛びが良いのではないか、と疑問が出されると、「変更はしていない」と嘘を言った上、関与したメーカーに対して、口止めまでしていた。そして挙句の果てに、実は、二〇一一年に導入した統一球の中には、当初意図した規格より反発力が小さい球が混入していたことまでが、露呈してしまった。もはやオソマツでは済まされない、悪質極まりない事件である。

野球は、世界規模で見れば、競技人口、観客数ともに、サッカーよりはるかにローカルなスポーツである。ローカルな野球をさらに世界に普及させるためには、国際的な交流試合を活発化させることが不可欠であり、各国の球団が統一的な規格のボールを使用することは、このための土台をなすものである。

日本は世界の中では珍しいほど、古くから野球が盛んな国であり、それもあって一部は独自の進化を遂げてきた。例えば使用球に関して言えば、軟球の発明などである。しかし日本の野球が国際的な競争力を高めるためには、使用球を日本独自のものから、アメリカを始め、各国が使用しているものに歩調を合わせることが欠かせない。ようやくと統一球を使用することに漕ぎ着けて、一歩前進と思った矢先の、この事件である。

この事件で何よりも唖然とさせられたのは、組織のトップである加藤コミッショナーが、「自分は(使用球の変更を)知らなかった」などと、平然と言い放っていることである。一方で、事務局長は、「コミッショナーに相談した上で変更した」と言っている。いくら何でもこのような重大な事柄を、事務局長が独断で行ったとは考えにくい。

もしコミッショナーが嘘をついているとすれば、これほどファンを見下して、バカにした話はない。日本のプロ野球界は、アグラを掻いてふんぞり返っていても、ファンは集まってくるとでも思っているのだろうか。組織のトップが、国民、ファン、選手を欺いて、自分の責任逃れに終始する姿を目の当たりにすると、かつて外務省の官僚として培ってきた役人根性が、丸出しに発揮されていると思えてならない。官僚が民間の分野で下手に活動すると、「百害あって一利なし」の結果を生むという格好の事例である。

また、もし本当に、コミッショナーがこの事実を知らなかったとすれば、それはそれで、組織の長としてのマネジメント能力に重大な欠陥がある由々しき事態である。その場合には、醜い言い訳などせず、自らの不明を恥じて、世間に頭をさげ、即座に責任をとって潔く辞任するというのが、まともなトップのあり様である。

日本のプロ野球は、最近、サッカーに多くのファンを奪われて、退潮ぶりが顕著である。この際、NPBの組織と人材にも徹底的にメスを入れたほうがよい。そうでないと、日本のプロ野球は今後さらに衰退の道を歩むことになる可能性が強い。

(二〇一三年七月八日)

 

 

 


2013年07月06日 10時07分

第一中学校沿革
沼津市立第一中学校沿革最新版を↑上段の「一中校沿革」頁に追加しました。ご覧ください。

2013年06月19日 15時59分

柳幸子さんの書道展
柳(多家)幸子さんの書道展が平成25年6月17日〜22日
東京交通会館 地下1階ゴールドサロンにて開催。
端山氏が訪問され、撮った写真集を上段↑の写真集2に掲載ご覧ください。
↓の画像をクリックでも写真集に行きます。
それと、↑の同窓会動画ブログにスライド(校歌付)を掲載しました。


2013年06月19日 05時05分

松井俊一コラム:会議はコケる

[会議はコケる]

 

会議とは、@会して議する、A議して決する、B決して行う、ものである。ひらたく言えば、@集まって意見を戦わせ、A結論を出し、Bこれを実行する、のが会議ということになる。当たり前と言えばそれまでだが、現在「会議」と称されているものが、果たしてこの三つの条件を満たしているのか。打ち合わせ会、放談会、雑談会などとの混同は生じていないのか。時に吟味してみる価値はある。

「打ち合わせ会」とは「前もって相談すること。下相談。」(広辞苑)である。いわゆる「根回し」はこの部類だろう。だとすると、予め根回しが済んだ後に開催される「会議」なるものは、「発表会」もしくは「披露宴」とでも称すべきものである。

「放談」とは「思いつくままに順序もなく語ること」(広辞苑)であり、「雑談」とは「とりとめのない談話」(同)である。従って、@着地の見えない発言(人工衛星型発言)、A議論を拡散させる発言(惑星探査機型発言)、B議題や議論の説明的発言(能書型発言)などは、放談、雑談の部類に属すると言うべきである。

また、放談、雑談とはやや異なるが、議論の分かれ目では沈黙し、大勢が決した後になされる発言(大政翼賛型発言)は、会議の効果的な運営を妨げるという点で、有害なことが多い。

会議は議論をする場である。なすべき議論は正々と大いに行うべきである。そして、戦わせるべきものは意見であって、人格や能力や感情ではない。

「激論」は「激しく意見を戦わせること」(広辞苑)であり、口論は「くちげんか」)(同)である。激論は議論の一形態であるが、口論はそうとは言い難い。口論の場合は、戦わせているものが意見ではなく、人格、能力、感情であることが多いからである。従って冷静に考えれば、会議において激論は可とするが、口論はすべきではないということになる。

しかしながら激論と口論の区分けは難しい。スタートの時点から判然としないケースもあれば、激論が口論へと変化するケースもある。ひとの意見には、その人の人格や能力が色濃く反映されていることも多いからである。

だからと言って、口論を恐れるが故に、激論を回避するようなことは、あってはならないだろう。例えば、会社の進むべき方向に誤りなきを期すため、必要であるならば、激論も行うべきである。不幸にして激論が口論に転じてしまったとしても、お互いの意見の軸が「会社の発展のため」にあるならば、口論のわだかまりが尾を引く期間はさほど長くならないと思われるからである。

また、会議において「〜ではないか」といった具合に、末尾に疑問や反語の「か」が付く発言は、意見ではなく「感想」である。会議に感想は不要である。

さらに、会議での意見は明確であるべきだ。仮に議案についての意見であるならば、賛成か反対か、何故か、を少なくとも明確にすべきである。反対の場合には、できれば対案を示すに越したことはない。さしたる対案もなしに、ただ議案の難点をいくつかあげつらうに止めるものも、意見とは言えない。

会議は出席者が真剣に意見を戦わせる場である。とすれば、会議の時間はせいぜい一時間程度が限度である。三時間も行うことができる会議の実態は、放談会や雑談会であることが多い。@会して議せず、A議して決せず、B決して行わない、名ばかりの会議は、自ずとコケてしまうのである。

(二〇一三年六月一八日)   


2013年06月11日 16時11分

25年度香陵同窓会総会

2013年06月02日 16時51分

第一小学校学校だより:25年5月号


2013年05月16日 14時01分

沼津市立第一中学校学校たより5月号

2013年05月16日 13時56分

沼津市立第一中学校学校たより4月号

2013年05月16日 13時48分

沼津市立第一小学校だより4月号

2013年05月11日 06時08分

松井俊一氏コラム「しっくりこない国民栄誉賞」

[しっくりこない国民栄誉賞]

 

長嶋茂雄と松井秀喜が国民栄誉賞を受賞した。国全体は概ね祝賀ムードであり、マスコミの報道も、NHKまでが特集番組を組むほど、盛り上がっている。このようなおめでたいムードの中で、敢えてケチを付けるのは、必ずしも本意ではないが、今回の国民栄誉賞については、二つの点で、どうもしっくりとこない。

第一は、松井秀喜の受賞の妥当性についてである。長嶋茂雄はさておき、何故、松井秀喜なのか。米国大リーグでの活躍ということであるならば、例えば、本人が辞退したイチローは言うに及ばず、野茂英雄の方が功績はよほど大きい。野茂は移籍問題を始めとする幾多の困難が横たわる中で、日本人選手が米国大リーグで活躍する道を切り開いた先駆者であり、その活躍ぶりも目覚しかった。米国での勝ち星は一二三勝(日米通算二〇一勝)に上り、一九九六年、二〇〇一年の二度にわたってノーヒット・ノーラン試合を達成(米国史上両リーグでの達成は四人目)するなど、日本人として、まさに誇るべき足跡を残している。

一方の松井秀喜はどうか。ホームランの本数ということであれば、一七五本、日米通算でも五〇七本で、王貞治(通算八六八本)には遠く及ばず、打率も二割八分二厘(日米通算二割九分三厘)と三割に満たないレベルである。「国民栄誉賞」に値する活躍が一体何なのか、素直には浮かんでこない。

敢えて、二〇〇九年のワールドシリーズで、ニューヨーク・ヤンキースの優勝に貢献し、最優秀選手(MVP)に選ばれたということであれば、これはむしろ、ニューヨーク市民栄誉賞の問題ではないか。

松井について、とりわけ納得がいかないのは、第一回ワールドベースボールクラシック(WBC)において、日本中が彼の出場を熱望していたにもかかわらず、国民の期待に背いて出場を拒否したことである。辞退に際してのもっともらしい言い訳も、とどのつまりは利己的な発想であることが透けて見えたため、わが家では、この事件をきっかけに、以後松井秀喜の応援は一切止めることにした。

要するに、米国大リーグの世界における松井の評価を、筆者なりに端的に言えば、イチローが一〇年、あるいは一〇〇年に一人の天才であるのに対して、松井は毎年一人以上現れる程度の、中距離打者だったのである。

 次に、今回の国民栄誉賞がしっくりこない第二の点は、長嶋の受賞の時期である。永年のファンであった筆者にすれば、国民的人気を博した長嶋の受賞は、松井に比べて違和感が少ないが、今という受賞時期が理解できない。例えば、国民栄誉賞が創設された時(一九七七年)や、監督を引退した時ならば、まだ納得がいくが、何故今なのか。仮に松井の現役引退に歩調を合わせたのだとすれば、あたかも松井の付録のようであり、それこそ、長嶋に失礼な話ではないか。

 二〇一二年十二月に第二次安倍内閣が誕生してから四か月余りが経過した。これまでのところ、各種政策への取り組み状況は、民主党政権があまりにお粗末であったことも手伝って、比較的健闘していると評価できるが、今回の決定については、どうもいただけない。国民栄誉賞の趣旨が曖昧で、時の政府の人気取りやご都合主義のため恣意的に受賞者が決められたのではないかと、疑われるような事例が続くと、この賞は、将来国民の支持を失って消滅の道を辿るおそれがある。

(二〇一三年 五月一一日)


2013年04月18日 09時39分

松井俊一氏コラム[サッチャー女史の死を悼む]

[サッチャー女史の死を悼む]

 

イギリスの元首相、マーガレット・サッチャー女史が、四月八日、天に召された。享年八七歳であった。

女史については、筆者は個人的にも、赤の他人とは思えないほどの親近感を持っている。もう三〇年以上も前のことになるが、多分、女史が首相に就任して間もない一九七九年の頃、ニューヨーク市内のホテルで、幸運にも、女史とJ・カーター米国大統領の二人がそろって短い演説を行うセレモニーに出席する機会を得た。演説の詳細は殆ど記憶にないが、英国と米国が一致団結することの重要性を力説する彼女の堂々たる演説は、カーター大統領のそれが霞むほど、迫力満点であったことを、今も鮮明に覚えている。

筆者はその後日本へ帰任し、銀行の調査部で、日本のマクロ経済分析の仕事に携わることになった。その関係で、イギリスのマクロ経済の動向にも少なからず注意を払っていたのだが、サッチャー首相就任当時のイギリス経済は、俗に「イギリス病」と呼ばれるほど疲弊し、弱体化が進んでいた。これに対して、女史は就任するや、国の復活に向けて、各種の政策を矢継ぎ早に実施した。政府の市場介入の抑制、国有企業の民営化、規制緩和、金融システム改革など、いわゆる「小さな政府」や「自己責任・自助努力」等を旨とする、「新自由主義的政策」(サッチャリズム)を次々と断行し、そして見事にイギリス経済を復活させたのである。

翻ってわが国では、鈴木善幸内閣の時代で、メリハリのない、隔靴掻痒の政治がダラダラと行われていた。それだけになおのこと、サッチャー首相の政策は新鮮であり、爽快でもあった。

また、「鉄の女」とも称された女史の確たる政治姿勢は、経済政策の面だけではなかった。一九八二年、アルゼンチン軍が南大西洋のフォークランド諸島を侵略した折(フォークランド紛争)の処理も鮮やかであった。間髪を入れずに艦隊や爆撃機を投入し、犠牲を厭わず毅然とした対応を貫いて、領土を奪還した。「領土は国家そのものである。領土なくして国家はなく、国家なくして、国民の生命・財産などを守ることはできない」、との信念からである。北方四島と竹島を他国に侵略され、尖閣諸島までが脅かされているにもかかわらず、これまでさしたる手を打たず、傍観していたような国は、大いに学ぶべきである。

女史に対しては、「社会的弱者」と称する者達から、「弱者切り捨ての政治家」との批判もあるが、この手の批判は気にすることはない。何をおいても、国を支えるべき、「ごく普通の国民」が疲弊していたのでは、国は成り立たず、国が成り立たなければ、弱者救済など出来ないからである。誤解を恐れずに言えば、「弱者の保護や救済」なるものは、国や社会基盤がしっかりしていて、初めてあり得るものなのである。

国を二分するような議論の時にこそ、敢然とリーダーシップを発揮し、断じて行うことができる有為の政治家に、毀誉褒貶は付きものなのかもしれない。さしたる定見もなく、愚民迎合にうつつを抜かし、国家を危機に陥れた、どこかの国の民主党の政治家とは根本的に次元が違う。女史が実践した政策は数多くの教訓を生むことになった。わが国の現政権における「アベノミクス」にも多大な影響を与えている。

二十世紀を代表する稀代の政治家が、また一人、この世を去った。まことに寂しいかぎりである。

(二〇一三年 四月一八日)


2013年04月12日 13時48分
沼津市立第一小学校校庭の藤の花
←をクリック動画にジャンプします。

一小の校庭の藤の花と児童たち。

2013年04月05日 05時16分

沼津東3年杉山七海さんが「ハッピーニュース高校生」受賞
《静新平成25年4月5日(金)朝刊》

2013年04月04日 05時01分
戦没同窓生284人しのぶ

 沼津東高OBが平和祈念式典

 戦没同窓生284人しのぶ

 県立沼津東高(旧制沼津中)卒業生でつくる香陵同窓会は3日、同校の跡地に建つ沼津市御幸町の市民文化センターで戦没同窓生を追悼する平和祈念式典を開いた。

 木村博彦同窓会長が「戦没者の努力と命のおかげで今日があることを忘れずに、平和の尊さをかみしめて生きていきたい」と述べ、約40人の会員が献花した。出席者の中には戦争で兄弟や同級生を失った人もいて、涙を流しながら校歌を歌う姿も見られた。

 同センター玄関前には太平洋戦争で命を落とした284人の同窓生と教官をしのぶ「平和祈念之碑」が建立されている。この日は悪天候のため、屋内で式典が開催された。

《静新平成2544()朝刊》


2013年04月01日 17時21分
第一小桜・桜・桜のお知らせ
平成25年4月1日(月)
沼津市立第一小學校校庭の桜・桜・桜の動画を
上段の復活沼一中・東HPに掲載。
又は←の画像をクリックして下さい。

2013年03月29日 10時59分

松井俊一氏コラム〔闘病記〕

〔闘病記〕

二月一三日から三月二一日まで、都内の病院への入院を余儀なくされた。親譲りの高血圧がもたらした慢性腎不全が原因である。腎不全との格闘は、かれこれ一〇年近くに及ぶ。とりわけ最近の三年間は、かなり厳しい食事制限を行ってきたのだが、昨年秋ごろから急速に病状が悪化し、ついに透析が必要な末期状態に陥ってしまった。

二月の診察時に、「至急入院」と、医者から告げられた時は、永年にわたる努力が空しかったという悔しさが先に立ち、即座に従う気には、なれなかった。ようやく腹を決めて入院したが、初日の夜は、これまでの闘病の記憶がよみがえり、さらには、これからの入院生活や手術などに思いが至るなどして、ほとんど一睡も出来ずじまいだった。まんじりともしない暗闇の中で、ラジオ(NHK)から、イヤホンを通じて西田佐知子の歌が流れるのを聞き、体に何の不安も無かった青春時代を思い出して、いっそう感傷的な気持ちに落ち込んだ。

かくして始まった入院生活は、一言で言えば毎日が苦痛の連続であった。病気そのものに伴う苦痛は、腹膜透析を導入するために行われた、カテーテルを腹の中に挿入する手術くらいのものであった。手術は二月二六日に行われ、全身麻酔で、略四時間を要したが、痛みは手術直後の一日がピークであり、かつて尿管結石で入院した時に味わったそれに比べれば、我慢のできるものだった。腹膜透析に向けての準備は、概ね順調に進んだ。筆者の入院したフロアー(四階)は患者が、約五〇名、そのうち二〇名強が腎臓を患っている者であった。腎臓病患者専用のフロアーのため、医師はもちろん、看護師も、腎臓の疾患には手慣れた者が多く、自分の身を委ねるのに、不安は微塵もなかった。大学の付属病院ならではの安心感である。

苦痛は、むしろ精神面のそれであった。一日の生活のスケジュールは全てが、杓子定規にきちっと決められている。午前六時起床、午後九時消灯。午前八時、正午、午後六時に食事。食事は、一日当り一七〇〇カロリー、食塩六g、蛋白質五〇g、腎臓食で感動的にまずい。飲み水は一〇〇〇CCまで。入浴は一日おきで、一人当たり三〇分。午前一〇時と午後五時に血圧、体温、脈拍の検査。そして数日おきに採血。といった具合である。

当然のことながら、病院からは一歩たりとも出ることが叶わない。生活空間は寝起きするベッドとそのわずかな周囲のみ。散歩の真似事ができるのは、病室前の長さ三〇メーターの廊下だけ。右腕には本人識別のためのリストバンドがはめられたまま。鉄格子こそ無いが、まさに獄中の囚人である。

単調な毎日の繰り返しで、二四時間がとてつもなく永い。これまでの生活は、午後八〜九時就寝、午前三時ごろ起床というパターンであったため、目が覚めてから起床時刻の六時までの時間が、とりわけ永い。多少頭を使って、あれこれと思いをめぐらす時間は十二分にある。しかしこれも曲者で、一旦マイナス思考に落ち込むと,底なし状態になり、精神衛生上極めて悪い。

食べたい時に食べたいものを食べ、寝たい時に寝る。気が向けば、いつでもどこにでも外出できる。自分のリズムとテンポで、自由な生活が出来るということが、いかに貴重で有難いものか。時折、基本的人権や言論の自由が存在しない中国や北朝鮮の国民が負わされている、人間否定のストレスは、この比ではないだろう、などと妙なことに同情してみたりする。

ごく当たり前で言い古されたことではあるが、「自由」の二文字の有難さが心底身に染みた、延べ三七日間の入院生活であった。

(二〇一三年 三月二九日) 


2013年03月22日 05時36分
高橋正登氏沼津副市長退任

副市長人事案を最終本会議に提出

 沼津市議会議運

 沼津市は21日開かれた市議会議会運営委員会で、高橋正登副市長(67)の後任に、元市企画部長の井原三千雄氏(62)を充てる人事案を提出すると説明した。

 22日の2月定例会最終本会議に追加提出する。高橋氏は任期を2年残しているが、健康上の理由で3月末で退任する意向を示していた。

《静新平成25322(金朝刊)


2013年03月18日 11時10分

 沼津黌(沼津市立第一小学校だより2月21日発行

2013年03月18日 11時00分

 躍る雲(沼津市立第一中学校だより2月26日発行)

2013年02月10日 10時49分

松井俊一コラム:「故郷は遠きにありて」

〔故郷は遠きにありて〕

 

ふるさとは遠きにありて思ふものそして悲しくうたふもの(室生犀星)

 

筆者は生まれてから高校卒業までを沼津で過ごした。その後上京し、大学を卒業した後は、銀行マンとして、各地を転々とした。住んだ場所は、東京、名古屋、京都、大阪、神戸、さらに海外のニューヨークといった具合である。根無し草のような生活を長い間続けた末に、現在は流山に住んでいる。様々な気候や社会風土の下での生活を経験してきたこともあって、とりわけ故郷の沼津には愛着を感じ、思い入れも、ことのほか強い。

富士山は目の前にあり、駿河湾の海の幸を始め、日本茶、蜜柑などの山の幸や里の幸にも恵まれ、気候は温暖、雪が降ることも滅多にない。住む人の性格も、至って鷹揚で穏やかである。「おてんとうさまと米の飯はついてまとう」が、祖母の口癖であった。

今でも、法事や趣味の魚釣りなどで、時折沼津の実家へ帰ることがある。しかし、犀星ほどの思い込みはないものの、故郷での滞在は、せいぜい一週間くらいがよいと思うことが多い。「沼津に帰って住む気はないのか」と周りから聞かれることがあるが、「住む気はない」とあっさり答えている。

理由の一つは、これまでの根無し草生活によって、生活のテンポやリズムがそれに染まってしまったためと思われる。

首都圏や大阪、名古屋などと沼津とでは、どうしても生活のそれが異なる。もちろん沼津の方がテンポは緩やかで、リズムも穏やかである。帰郷した直後はいつも、このことがたまらなく嬉しいのだが、一週間も経つと、それが徐々に「所在のなさ」へと変わっていってしまう。

さらに、故郷での滞在は一週間程度と思う、もう一つの理由は、滞在が長びくにつれて、心の隅にある「微かなわだかまり」が、時折ふと、頭を持ち上げて来るためである。

筆者の二つ年下の妹は、既に故人となったが、脳に障害を持っていた。終戦二年後の一九四七年に受けた、天然痘の予防接種が原因であった。生まれてから二か月で最初の接種を受けたが、それが不充分ということで、間もなく二度目を受けることになった。生まれて二か月余での、二度にわたる接種は、身体への負荷があまりに大き過ぎたのであろうか。接種の後、高熱を発し、それが続いた末、仮死状態に陥ってしまった。スプーンで食べ物を与えようと、口の中に入れても、それを飲み込むことなく、いつまでも舌の上に乗ったままであったそうである。

両親は心当たりの医者を片端から訪ね、何とか助けてくれるよう頼んで歩いたが、どこの答えも、「もはや手遅れ」であった。最後に訪ねた台湾出身の開業医から、「最近ペニシリンという新薬が開発されたと聞いている。進駐軍なら手に入るかもしれない。」と、アドバイスがあり、叔父が苦労して座間の米軍キャンプを訪ねて、何とか入手することができた。

「後遺症が出るかもしれないが、それでも良いのか」と、医者から言われたが、両親は迷うことなく「とにかく、命だけは助けて欲しい」と懇願した。医者は英語の処方箋を片手に、かなり高単位のペニシリンを投与したそうである。

何とか、命は助かった。しかし脳にかなり重度の障害が残った。当時はまだ広く世間には知られていなかったが、今日振り返れば、明らかに種痘の副作用である「種痘後脳炎」であったと思われる。それでも両親は、その医者を命の恩人として、感謝することを終生忘れなかった。小児科医であったにもかかわらず、それ以来、大人も子供も、病気も怪我も、家族に何か起こると、真っ先にその医者に駆け込んだ。四六歳で逝った母の最期を看取ってくれたのも、その医者であった。

妹は、見た目は至って普通であるが、注意深く見ていると、言動の軸がどこかずれている。社会常識を逸脱したことを時折行い、家族全員が問題の解決に奔走することもたびたびあった。そのくせ、電話番号の記憶力などは抜群で、もし病気にさえなっていなかったら、兄妹の中でこの子が一番頭は良かったのではないかと、父母は折にふれて言っていた。両親を始め、家族全員が、口では言い尽くせない苦労を山ほどした。母が夭逝したのも、多分にこの苦労が与っていたと、今でも思っている。今の世であれば、国や市を相手どって、薬害の訴訟沙汰にでもするのであろうが、妹も両親も既にこの世に無く、それも叶わない。 

本人自身が周りからいじめを受けるのは日常茶飯事だったが、筆者と、もう一人の四歳下の妹も、辛い思いは数え切れないほどした。一部の子供達から、「お前の妹は馬鹿だ。頭がおかしい。」と言われた。陰口も言われたようである。病気の後遺症であるのに、家系が原因であるかのように言われたり思われたりすることが、悔しかった。

「馬鹿と言っているお前は、俺より馬鹿じゃないか。そんな人間が他人に向かって、馬鹿と言える資格があるのか。」そう言い返してやりたくて、悔しさをバネに、勉強とスポーツの両方に励んだ。後で聞いた話だが、末の妹も全く同じ気持ちだったようである。

子供は残酷である。よく、「純粋」などと言うが、そうではない。限りなく動物に近いだけで、他人の傷や痛みを平気で攻撃する。他者への思いやりや気配りなどが身に付くのは、人間としての分別がしっかり身に付いてからの話である。極めて身勝手なことだが、身内を除いて、筆者はいまだに幼い子供をあまり好きになれないでいる。

故郷についての「微かなわだかまり」とは、幼い頃味わった、妹にまつわる様々な出来事なのである。

(二〇一三年二月一〇日)


2013年01月29日 10時51分

松井俊一コラム:箱根駅伝へのエール

[箱根駅伝へのエール]

 

今年も、正月の風物詩である「箱根駅伝」(東京箱根間往復大学駅伝競走)が、盛況のうちに終了した。

「最近の箱根駅伝はあまりに肥大化しすぎて、弊害も多い」との批判もあるが、筆者は素直な気持ちで、もの心付いたころから、箱根駅伝を応援し続けている。毎年、一月二日の往路、三日の復路をじっくり堪能してから、初めて新しい年を迎えたという実感が沸いてくる。

箱根駅伝の最大の魅力は、「母校の襷をつなぐ」一心で、若者が真摯に走る姿勢にある。出場選手の多くは、競技者として、まだまだ未熟であるから、それなりの気負いや失敗例も多い。それでもめげずに、一心不乱に取り組む姿は、清々しい。

今年の駅伝もよかった。二日の往路は向かい風が強く、三区以降、とりわけ五区の山登りの選手には気の毒であったが、天候の良し悪しが付き物であることも、この大会の特性であり、また見所でもある。今回総合優勝した日本体育大学の健闘は、充分賞賛に値する。一年前の大会では、最下位から二番目の一九位、しかもタイムオーバーにより、八区で襷が途切れてしまった。その後、予選会から勝ち上がっての総合優勝は、九七年の神奈川大学以来、史上二校目の快挙である。大失敗にめげず、これを糧に変えて、一年で見事によみがえった好事例を、目の当たりにすることができた。

毎年楽しませてくれる箱根駅伝であるが、一方では気がかりなこともある。

第一は、テレビの実況中継のあり方である。箱根駅伝のような競技大会こそ、NHKが放映すべきである。片道五時間余にわたって行われる競技の放映が、CMの都度中断されるのは勘弁して欲しい。白熱する競り合いの場面をCMによって妨害されることが、これまでに何度あったことか。民放では、五時間余もCMなしということは到底不可能であろうから、このような競技こそ、NHKには是非とも、放映権を取得してもらいたいものである。

さらに現在の放映局である日本テレビは、アナウンサーや、局そのものの体質も問題を含んでいる。実況担当のアナウンサーは、何故あれほどまでに絶叫しなければならないのか。ラジオと異なり、映像が映っているのだから、しつこく大げさな実況は、テレビ局側の、独りよがりによる自己満足としか思えない。かえって視聴者をしらけさせるだけである。今年の大会にも、とりわけひどい者がいた。二日間にわたってこのようなアナウンサーを放置していたのは、上司や周りの者もこれを是としていたからに他ならない。とどのつまりは、局の体質そのものが下劣なのである。

また今年は幸いにして遭遇せずに済んだが、タイムオーバーで襷が途切れる場面が生じると、襷を渡すことが出来なかった選手の打ちひしがれた様子を、カメラがいかにも執拗に追い続ける。人の傷に塩をすり込むような悪趣味は、止めるべきだ。

気がかりの第二は、競技参加資格者としての、いわゆる「留学生」の問題である。誤解を恐れずに言えば、留学生は除外したほうがよい。戸籍の信頼性がいまひとつで、年齢も正確か否か断じがたいような、桁外れのスピードを持った留学生の参加は、本大会の趣旨にはそぐわない。

「マラソンの父」と呼ばれた金栗四三が、そもそもこの大会を創設したのは、「世界に通用するマラソンランナーを育成したい」との思いからである。オリンピックでマラソンランナーとして失敗した自らの体験を踏まえ、彼の念頭にあったのは、世界に通用する日本人のランナーを育成することであったはずである。本大会は、記録だけを追い求めているものでは決してない。オリンピックで活躍できるような日本人ランナーを育成することも、一つの大きな目的であるのだ。

今年も本大会で、山梨学院大学と日本大学が外国人留学生を起用した。山梨学院大学と言えば、箱根駅伝に外国人留学生を起用した最初の大学であり、その後も執拗に毎年起用し続けている。大学の売名のために、箱根駅伝を利用しているように見える大学は、とても応援する気にはなれない。

そもそも、箱根駅伝の参加資格を有する学校は、記念大会を除いて、「関東学生陸上競技連盟」の加盟校である。関東ではなく、甲信越(山梨県)にある大学に、何故連盟への加入資格があるのか。そのこと自体が不可解である。

これら二つの気がかりな点を解決すれば、箱根駅伝はさらに楽しめる大会に育っていくことができると思われる。

(二〇一三年一月二九日)松井俊一


2013年01月19日 11時12分

沼津學(沼津市立第一小学校だより)12月号


2013年01月06日 10時23分

松井俊一新年第1回コラム「EU(欧州連合)の構造的欠陥」

〔EU(欧州連合)の構造的欠陥〕

 

ヨーロッパの信用不安が止まらない。

ギリシャに端を発し、スペイン、イタリアなどの各国に、連鎖的な不安が生じている。不安を生んでいる主因は、各国の巨額な財政赤字である。そして赤字の原因は、国民に対して大盤振る舞いを続けてきた、バラマキ政策によるところが大きい。積年にわたる、選挙目当ての愚民迎合政策と、「大きな政府」の、なれの果てとも言える。

財政赤字を厳しく削減しようとすると、途端に、国民から大反対の合唱が起こる。甘やかされて育てられてきた人間を、規律と節度をわきまえた大人の世界に導くのは、容易なことではない。財政再建の道のりは限りなく険しい。

日本も他人ごとではない。国の借金はGDPの二倍に達し、世界で群を抜いている。「身の丈にあった生活」や「入るを計り、出ずるを制す」などという言葉は、もはや死語になってしまったようである。立派な体をした若者が生活保護を受け、ゲームセンターやカラオケでうつつを抜かしている。乗用車を乗り回していながら、生活が苦しいと言って、子供の学校の給食費を払わない親も多い。巨額の財政赤字について、日本の場合は他国と異なり、国内の貯蓄で国の借金(国債)を賄うことができているから大丈夫だと言う人がいるが、そうはいかない。国の借金残高は、既に家計(個人)の貯蓄総額に迫りつつあるのだ。

話しをEUに戻すと、財政再建に四苦八苦している国が多い一方で、優等生のドイツは、マルク時代に比べ、ユーロが安価になったことで、輸出増による経済の繁栄を謳歌している。そのくせ、ドイツはEUの構造改革のために、率先して自らの血を流すことには消極的である。ドイツと並んでEUのリーダー格とされるフランスも、自国経済の脆弱性という爆弾を抱えている。

ヨーロッパ連合には、色々メリットも多い。しかし、メリットを享受するためには、その土台となるべき、相応の規律と努力が大前提になる。一つの独立した国家であっても、現在は世界の多くの国が、財政赤字の削減と景気回復の二律背反に、四苦八苦している状態なのである。

ヨーロッパ連合が、巷に言われているようなメリットを享受するためには、財政、金融部門を土台から再構築する必要がある。少なくとも、各国の財政政策について、同一国並の運営ルールとガバナンスは絶対に不可欠である。経済全般の運営方針についても統一出来るならば、さらに良い。これらが構築されない限り、ヨーロッパの信用不安は無くならない。下手をすればEUそのものが崩壊することすら懸念される。しかし、経済状況がバラバラな各国が独立を保ったままで、これらを実行することは、至難の業である。

実はEUとよく似た話が、日本にもある。

確たる指導力が無く、躾も教育もままならない教師の下で、優等生も劣等生も同一の教室に入れ、甘やかしの授業に終始した結果、劣等生はもとより優等生、さらにはクラス全体の崩壊を招くことになってしまったという、日本の教育のことである。

(二〇一三年一月六日)

 

 

 

 

 

 

 


2012年12月12日 18時19分

松井俊一コラム〔人間とサルのあいだ―類猿人の存在

〔人間とサルのあいだ―類猿人の存在〕

 

ヒトは生まれた時はサルである。サルが言い過ぎであるならば、限りなくサルに近いヒトである。ヒトに近いサルのことを類人猿と言う。ならばサルに近いヒトは、筆者はこれを「類猿人」と名付けている。

そして類猿人をヒトに変えるものが、親や家庭の教育である。この場合の教育とは、近所の人に出会ったら挨拶をする、玄関では靴を脱ぐ、食事をする時は箸を持つ、といった、主として躾の類いである。類猿人の教育は並大抵のことではない。相手は脳ミソが殆ど真っ白な状態であるから、「言って聞かせる。やらせてみる。」の、辛抱強い繰り返しが必須である。しかもこれだけで、必ずしも全てが身に付くわけではない。時には不本意ながら、体で覚えさせなければならないこともある。

アメリカの一般家庭の躾は、現在の日本よりもはるかにしっかりしている。ニューヨークでよく目にした光景だが、子供が入ることを許される、いわゆるファミリーレストランといえども、子供が椅子の上に立ち上がったり、騒いだりしようものなら、すかさず親が注意する。それでも改まらない時には、頬をつねる、尻を殴打するなども珍しくはない。

体罰はもとより好ましいことではない。しかし、サルとは異なるヒトとして、最低限守るべき基本ルールは、その後の永い人生の土台をなすものである。「三つ子の魂百までも」の重さを考えれば、時には心を鬼にして行わなければならないこともある。

次に、類猿人を脱皮し、一定の躾を身に付けたヒトを、人間にするのが、学校教育と家庭教育である。人間とは、ヒトが社会に所属する一員であることを自覚し、社会の一員として最低限守らなければならないルールを、守るべくして守る者のことである。

最近の通勤電車の中は、さながらマナー違反者の陳列ケースのようだ。長くもない足を投げ出して椅子に座る者、他人の鼻先で新聞を広げる者。臆面も無く化粧をしたり飲食をしたりする者。サルのまま歳だけを重ねてきたような人間で溢れかえっている。これらの者に共通しているのは、「電車は皆で利用するもの」という自覚の欠如である。そしてこの自覚の欠如は、家庭と学校における、教育の欠如と誤りとに起因する。「教育の欠如」とは、真の「自由」、「権利」とは何かを、徹底して教えていないことであり、「教育の誤り」とは、「自由と放任」、「権利とわがまま」は厳に異なる旨を教えていないことである。電車や道路は自分一人のものではない。そして多くの人が共同で利用するものには、自ずと利用に際して最低限まもらなければならないルールがある。

かつて、ニューヨーク市のマンハッタン区で、自動車の運転免許の試験を受けたことがある。当時、マンハッタン区の道路の混雑振りは全米一、試験の難しさも全米一と言われていた。しかし、運転技術そのものについての試験はさほど難しいものではなかった。右折、左折、Uターン、路肩駐車など、ごく日常的で基本的な技術だけである。筆記試験も同様で、常識で考えれば答えることができるような問題が過半であり、日本のように難解で、現実離れした問題は見当たらなかった。

むしろ試験に際して重視され、強調されたことは、「道路は皆で使うもので、自分一人のものではない。他の人に迷惑を及ぼすような行為をしてはならない。」という思想であった。ちなみに第一回目の実地試験は不合格であった。技術面はほぼノーミスであったと思っていたので、少々意外であったが、「(他の車が接近中の)信号機のない交差点で一旦停止を怠ったことが、(他の車を巻き込んだ事故となりかねない)極めて危険な行為であり、致命的な減点要因である。」との指摘を受けた。

皆が共同で利用するものに守るべきルールがあることは、電車や道路に止まらず、広く「社会」についても同様である。人が社会の一員である以上、社会の一員として最低限守るべきルールを守るのは、当り前のことである。社会の中における自由と権利の行使には、自ずと、「他の人が自分と同様に有する自由と権利を、侵さない」といった、責任や義務を伴うことになる。ヒトを人間に育て上げる教育は、学校だけ、あるいは家庭だけの一方で成り立つものではない。両者が相まって、さらには社会全体も一体となってこそ、実効をあげることができるものである。

教育は、短期間で顕著な成果が出るものではない。「言って聞かせる。させてみる。」ことを長期にわたって持続させることであり、教える側に立てば、まさに長丁場にわたる、忍耐と我慢の連続である。そして教育の手順については、@基礎・基本は、厳しくしっかりと身に付けさせる。Aその後は徐々に手綱を緩めていく。最後に、B応用・創造は自由にのびのびと活躍させる。というのが、オーソドックスなやり方であろう。

家庭での教育を放棄しておきながら、学校に責任を転嫁する親。自らの教育能力の向上に不断の努力を払わないで、家庭の教育不足を言い訳にしたがる学校教師。「教師」である前に、「労働者」であることを旨としてきた日教組。現実を直視し、正面から問題解決に取り組むことを怠ってきた行政。他人の子供であれば、否、時には自分の子供でさえ、周りの人に迷惑をかけていても注意しようとしない倫理、道徳の欠如した社会。

わが国の教育改革の道のりは、前途多難である。

(二〇一二年一二月一二日)


2012年12月03日 03時32分

松井俊一氏コラム:TPPと日本農業

〔TPPと日本農業〕

 

TPP(環太平洋経済連携協定)に対する農業界の反発が激しい。TPPへの参加はもとより、協議への参加についてさえ、強烈な拒絶反応を示している。TPPに参加すれば、日本の農業は壊滅するとまで言う。しかし、本当にそうか。

では問うが、これまでわが国は「国内農業の保護、育成」というお題目で、何十年にわたって国民の税金をつぎ込んできたのか。その結果、日本農業は復活の兆しを少しでも見せたのか。答えは明白である。農業に新規参入する若者は皆無に近く、農業従事者は減少の一途をたどり、高齢化だけがひたすら進んで、もはや先の展望が開けない状態に陥っている。

TPPへの参加を拒否したら、農業は復活できるのか。これも、答えは否である。日本農業を現在のような閉塞状態に追いやったのは、実は、「日本農業の閉鎖、排他体質」なのである。農協を中心とする業界団体は、独占的権益を享受し、農業への新規参入者を頑なに拒み続けてきた。例えば農地一つをとってみても、新規参入者が利用できるようにするのは、幾多の障壁に阻まれて、至難の業である。企業の進出はもとより、個人でさえ、容易には参入ができない状態である。これでは、若者が農業へ参入しようとする意欲は削がれざるを得ない。

今、国がなすべきことは、補助金(国民の税金)をバラ撒いて、生産性向上意欲のある農業従事者の「やる気」までを削いでしまうことではない。例えば、農地の円滑な貸借を促進する制度の創設など、企業や個人が新規参入を行い易くなるような、各種の制度をととのえること、既存の農業団体を解体または再編し、開放的な団体へ改革すること、などである。要は、農業のマーケットを開放して、企業や個人事業者の新規参入を促進し、それによってビジネスチャンスを拡大することである。この方が、現状よりはるかに日本農業が復活する可能性は大きいと思われる。

わが国の農業、漁業など、第一次産業が国内総生産に占める割合は、僅か数パーセント(約一・五%)に過ぎない。日本は圧倒的に二次産業と三次産業に依存して成り立っている国なのである。

国土面積が狭小(世界の〇・三%)で、天然資源も殆ど皆無の日本が、世界のトップグループの一員として生きていくことが出来るのか否か。命運は二次産業と三次産業がいかに国際競争力を保持し、輸出産業によって、一次産業を始めとする他の産業全体の脆弱性をカバーできるか、にかかっている。とりわけ、二次産業における国際競争力はその鍵を握っている。

これまで日本の経済成長を牽引してきたのは、自動車、電機に代表される輸出産業である。しかしこれらの輸出産業は、近年、韓国、中国、台湾などの追い上げを受け、比較優位性が急速に低下してきている。従って、関税のように輸出の障壁となるものが、他国よりハンデキャップを負っていても構わない、などという余裕は、もはやない。TPPは、そのハンデキャップに係わる重要な討議の場なのである。一・五%の産業を守るために、九八・五%の産業はどうなっても構わないという理屈は、国民経済の観点からは、どう考えても成り立たない。

TPPについては、一刻も早く協議へ参加することである。一日遅れるごとに、日本の意向が全く反映できずに、事態はどんどん進んでいってしまう。協議に参加し、そして協議の結果、万が一、日本の国益に重大な悪影響を及ぼす事項があり、それがどうしても解決できないということであるならば、その時点で、参加を見送ることもやむを得ない、ということである。

TPPはまた、傍若無人ぶりが目に余る最近の中国を牽制する上でも、相応の意義があると思われる。

(二〇一二年一二月二日)


2012年11月14日 13時22分

松井俊一氏コラム

〔 厚顔無恥の世代―万里の長城遭難事件など 〕

 

中高年が絡んだ、恥さらしの事件や事故が多発している。

韓国の男子芸人を追いかけて、かの国にまで、のこのこと出かけて行き、反日運動の標的にされたり、事件に巻き込まれたりする中年女性がいる。そうかと思うと、無謀な山登りや山歩きで遭難し、世間に迷惑を掛ける中年男女も多い。救助に向かったヘリコプターが墜落して、前途ある隊員の命が犠牲になったという、やりきれない事故も起きている。

先日もまた、恥さらしの事故が起きた。中国、万里の長城で日本人の男女四名が、雪に見舞われて立ち往生し、うち三名が死亡した、というものである。悪天候になるとの天気予報を軽視し、軽装で物見遊山を強行した挙句の事故である。危険予知能力の欠如、状況判断の甘さ、無防備な服装、体力の過信など、言い出したらきりがないが、そもそも、尖閣諸島をめぐるゴタゴタの最中に、わざわざ中国へ出かけていく神経そのものが、理解できない。まさに、「平和・安全ボケ、ここに極まれり」である。

中高年の無神経や傍若無人ぶりは、事件や事故だけに止まらない。国の財政が破綻の危機に瀕し、老人医療費の自己負担額を多少増やしたり、年金を減額したりしようとすると、たちまち、「年寄りの人権を守れ」などと言って、大騒ぎをする。

いい歳をして、国にたかったり、社会に甘えたりするなと言いたい。若い頃から、旅行や娯楽などを多少我慢しても、老後に備えるため、貯蓄に努めることは、日本人として当たり前のことではないか。老後は、天から神様がいろいろ恵んでくれるとでも思っていたのか。イソップ寓話のアリとキリギリスの話は、自分とは無関係な世界だとでも思っていたのか。彼らが自分と同年代であるだけに、なおさらのこと腹が立つ。

さらに耐えられないことは、現在の日本には、このように厚顔無恥な中高年が蔓延しているかのように、思われていることである。これにはマスコミの偏向的な報道も大いに与っているが、とんでもない。筆者の周りには、「我慢」、「自助努力」、「受益者負担」などを旨とする中高年の人達が圧倒的に多い。皆一様に、だらしのない中高年に対して、悲憤慷慨している。

自分達が若い時は、年寄りの世代を支えてきた。しかし、タチの悪い官僚が、年金や社会保障について、いいかげんな制度設計を行ったおかげで、いざ自分達が支えられる世代になったら、若者の負担があまりにも過重になってしまった。結局、自分達は割りを食うことになる。が、それはめぐり合わせの悪さであると言い聞かせて、我慢するしか仕方がない。世界に類を見ない急速な少子高齢化を前提とした、新しい社会制度を構築することは、将来の日本と若者達のために、是非とも必要であり、何としてもやり遂げなくてはならない。これに伴う応分の負担増は、甘んじて受けようではないか。そして、それと同時に、現在の若者達に対しては、人生の先輩として、なすべき叱咤、激励をもっと堂々と行おうではないか。妙に沈黙したり、萎縮したりすることはない。

現在の中高年は、戦後、日教組の売国、亡国教育だけを受けて育った世代である。しかもその親の多くは、戦前、正しいと教えられてきたことが、敗戦で全て否定されてしまったため、教育の自信を喪失し、自分の子供に対する教育を放棄してしまった。いわば、教育の空白の中で育った世代である。しかし、現在の日本には、自己研鑽に励んで正しい知識と知恵を身に付けた、まともな中高年も負けず劣らず多いのである。

まともな中高年の皆さん、この国の将来のために、もっと声を大にしようではないか。

(二〇一二年 一一月)


2012年10月17日 05時30分

牧田一郎氏(東高16回期)会社の還暦広告

2012年10月12日 11時19分

松井俊一著「言いたい放題ー気の向くままにー」ご案内
松井俊一氏より著書「言いたい放題ー気の向くままにー」の発刊の知らせがあり、
早速上段の「言いたい放題」をDPF形式で掲載しました。お読み下さい。




2012年10月03日 13時20分

この国の進むべき道:松井俊一著ご案内
松井俊一氏が29日の同期会に最新著書が提供されました。
上の段の「この国の進むべき道:松井俊一著」にPDFで掲載しましたのでお読み下さい。



2012年09月30日 19時48分

9月29日三島プラザホテル・アネックスで開催された「東高16回期同期会」の動画と写真集のお知らせ。
三島プラザホテル・アネックスで開催された「東高16回期同期会」の動画は上の段の
「同窓会動画ブログ」と「復活沼一中12東HP」に掲載。
写真集は上段の「写真集2」にアルバムとして掲載。ご覧ください。


2012年09月25日 05時21分
東高16回期小松幸子さんの活躍記事

NPO法人グラウンドワーク三島理事長に就任した

 小松幸子さん(こまつゆきこ)(三島市)

 設立20周年を迎えたNPO法人グラウンドワーク三島に発足当初から携わる。7月から2代目理事長に就任した。67歳。

 ー理事長就任の抱負は。

 「皆で協力して身近な環境改善を進めるグラウンドワークの活動をさらに進めていきたい。初代理事長の緒明実氏の偉大さにはかなわないが、一人一人が前向きに頑張れるよう応援していく」

 ー水辺再生、援農、人材育成など活動は多岐にわたる。外部の関心が高い取り組みは。

 「やはり源兵衛川の環境整備は注目度が高い。景観や水の美しさはもちろんだが、水中に咲く多年草ミシマバイカモの世話や、川岸の清掃など、地道に活動している住民の姿に感銘する人が多い」

 ー20年間を振り返ってみての感想を。

 「現場視察にはアジアや欧州に加えて、アフリカや中近東からも訪れる。自分の視野も広がった。人のつながりの中で新しい発想が生まれてくるのが面白い」

 ◇

グローバル文化交流協会、ふるさとガイドなど地元の市民活動にも精力的に関わる。

《静新平成24925()「この人」》


2012年08月14日 21時03分

第28回香陵ゴルフ大会の案内

2012年07月26日 17時23分

沼一中PTA広報誌「松葉第103号」









2012年07月21日 17時30分

沼津東高第16回同期会案内
沼津東高第16回率業生同期会


2012年07月08日 16時37分

12回同期会の写真と動画のお知らせ
沼一中第12回期同窓会平成24年7月7日
の動画を上の段の「同窓会動画ブログ」に掲載。
写真集を「写真集2」に掲載中。

2012年07月08日 14時42分

第15回沼津市立第一中学校同窓会総会の写真集のお知らせ
7月7日に開催された第15回沼津市立第一中学校同窓会総会の写真集を
↑の壇の「写真集2」に掲載、ご覧ください。

2012年07月01日 11時59分

躍る雲:24年6月26日号


2012年06月30日 04時50分

6月29日尾林山本君新東名駿河沼津STにて


尾林・山本君新東名駿河沼津STに遊ぶ、↑の写真集2にアルバム掲載。

2012年06月24日 15時35分

沼津市立第一中学校同窓会第15回総会

2012年06月11日 11時09分

香陵同窓会のお知らせ

2012年06月11日 11時06分

沼一中代12回期同窓生へのお知らせ

2012年06月08日 14時13分

杉本富太郎氏:沼津市立第一中学校10回期生

沼津市役所に自主製品の販売拠点を設けた障害者団体代表

 杉本富太郎(すぎもととみたろう)さん (沼津市)

 知的、精神、身体の各障害者8団体でつくる「沼津市の障害者福祉の充実を考え求める会」をまとめる。市役所の地下に販売店「パイン」を開設した。店名は市の木の松にちなんだ。68歳。

 ー店の特徴は。

 「障害者が作ったパンや弁当、文具、布製品など約60種類を並べた。各団体が商品を持ち寄ることで品ぞろえを充実させた。私たちが一堂に集まって常時販売できる場所はこれまでなかった。とても喜んでいる」

 ー開設の経緯は。

 「障害者と健常者が日常的に接する場所がほしかった。パインでは障害者が店員として働く。積極的に足を運び、理解を深めてもらえればうれしい」

 ー障害者をめぐる課題は。

 「障害者自立支援法施行後、障害が重い人ほどサービスを受けた時の自己負担が大きくなった。私は精神保健福祉団体の代表も兼ねているが、精神障害者への偏見はまだある。こうした課題を解決するには各団体が手を取り合うことが大切。パインの運営を通して協力関係をより強めたい」

 ◇

ゴルフと囲碁を月1回楽しむ。

(静新平成2466日「この人」)


2012年06月04日 17時00分

沼津市立第一中学校だより「躍る雲」


2012年06月01日 12時34分

同期の鳥潟浩司氏からの便りです。

同期の皆さん

 

ご無沙汰しています。

景気のことは、言わずもがな。相変わらずです。

最近、例のNHK:あなたが主役50ボイスの企業編がダイアモンド社から出版されました。

小さなナンバーワン企業の集約集です。

(画像四枚です)

良い季節ですが、梅雨入りもまじかです。おからだご自愛のほど、お祈り申し上げます。

 鳥潟






2012年05月27日 10時13分

沼東バレー部5人けが

 沼津東バレー部5人けが

 高校総体遠征途中 バスに乗用車衝突 東名・菊川

 26日午前750分ごろ、菊川市牛渕の東名高速道下り線で、千葉市稲毛区の塗装業男性(61)の乗用車が、県立沼津東高の男子バレーボール部の生徒らが乗ったマイクロバスに衝突した。乗車していた13年生の女子マネジャー4人と、2年生の男子部員の計5人が首や胸などを打ち、軽いけがをした。乗用車の男性と同乗者の2人にけがはなかった。

 同校によると、バスには部員19人と顧問の教諭1人が乗っていた。同日開幕の高校総体県大会に出場するため、掛川市内の体育館に向かっていた。けがのなかった部員14人は代替の車で会場に向かい、試合に出場した。

 県警高速隊によると、乗用車が追い越し車線に進路変更した際、後ろから来たバスとぶつかったという。

 御宿正士副校長は「けがが大事には至らず、ほっとした。久々の県大会出場で万全の状態で戦ってもらいたかったので残念」と話した。試合はO2で敗退した。

(静新平成24527日朝刊)


2012年04月27日 18時43分

躍る雲平成24年4月24日号


2012年04月12日 14時24分

躍る雲24年4月号


2012年04月06日 13時07分

沼一中第66回入学式の動画
4月5日:沼一中第66回入学式の動画を上段の「同窓会動画ブログ」に掲載。

入学式http://youtu.be/-YM6oIL_g7I へのリンク動画


2012年04月04日 09時39分

旧制沼津中沼津東高 OBら平和願い式典

 戦没同窓生しのぶ

旧制沼津中沼津東高 OBら平和願い式典

 旧制沼津中と沼津東高のOBでつくる香陵同窓会は3日、戦没同窓生を追悼する平和祈念式典を沼津市民文化センターで開いた。

 旧制沼津中があった同センター玄関脇には284人の同窓生をしのぶ平和祈念之碑が建立されている。この日は悪天候のため屋内で開催した。約40人の出席者は全員で校歌を歌った後、花を手向けた。

 同会平和祈念実行委員会の江藤敬広委員長は「戦争によって今でも語り合えたはずの多くの仲間を失った。平和を当たり前のものとしていかなければならない」と述べた。

(静新平成2444日朝刊)


2012年04月01日 10時53分

沼一中一回生回想「おばあちゃんは大先輩上・下」

「沼一中一回生回想」

 おばあちゃんは大先輩 上 花村邦子

 孫が沼一中に入学する。子どもの成長は早いもので、追いかけるように私も、もうすぐ七十八歳。

 ゲームに熱中している時の孫の指さばきの見事なこと。時折、「ウー」とか「ゲー」などと、おかしな声を出す。「この子、大丈夫かな」と、しばらく顔を見つめる。少年ぽい、その横顔がチラッと私を見る。

 「そんなにゲームに夢中で、本当に中学生になれるの」彼の返事。「今年の子はさ、皆幼いんだってサ」

 沼一中一回卒の私としては、この際、話しておきたいことが山ほどある。

 「おばあちゃんは、お前の大先輩なんだョ」と話し出すと逃げ腰の彼。「きょうはトランプではなく私の話に付き合って」と、きっぱり言った。

 「日本が戦争に負けてアメリカの言うことを聞かなければならなくなったのは知っている?」「うん」

 「小学校の教育も軍国主義から、自由と権利を大切にする民主主義に変わったの。それまでの『お国のために生きなさい』という教育から人間の権利を大切にする教育方針にガラッと変わったの。義務教育が六・三制になり、小学校の六年間と中学校の三年間。その後は高校が三年間、そして大学というようになったの。その時の新制中学第一回卒業生は、今のお前と同い年。お前達は、小学校を卒業した後、当たり前のように一中に入学。『一年生、おめでとう』でしょう」「当然!」ときた。

 「おばあちゃん達は一中生になっても校舎がなかった」「なぜ」

 「戦争の時、空襲で沼津のまちは丸焼けになり、家も学校も焼けて、なんにもなくなったんだよ」「知っている」と孫。

 「小学校六年の時、学校はこれからどうなるのか不安だった。教育制度が変わり、試験を受けなくても義務教育として中学生になることができるようになった。焼けずに校舎が残っていた私立の学校を受験して進学した子もいたけれど、ほとんどの子が一中生になった。制度は決まっても校舎がないの。そこで、残った公社、海軍工廠、軍需工場の宿舎などを校舎として使うことになった」

 「それでも足りなくて、一中は金岡中と一緒に勉強することになった。一年生の足で家から金中までは遠かった。毎日が遠足のようだった。雨もよく降り、大雨になると一つ目ガード(今の中央ガード)は汚水混じりのプールになった。浅くて歩ける時はジャブジャブ歩き、通れなければ、ガードの上に止まっている貨車の下を潜って登校した。それでも学校に行くのがイヤなんて、一度も思わなかったョ。戦争に負けた国だから何もなくても仕方ないと思っていたし、恐ろしい空襲はないし、何か前より楽だったからー」

 「でも、辛かったのは、お弁当の時間。金中生は、ほとんどが家は焼けないし、農家だったから、白いご飯のお弁当だった。私達一中生は、商家が多いし、家も焼け、何もなかったから皆、貧しかった。お弁当だって代用食のおイモなどで、まともな食事は誰もできなかった。今、考えると、なんて冷酷な組み合わせだったのかと思うよ。一中生は皆、栄養失調。だから金岡の子の体力には負けるけど、"勉強で勝つ"と心に決めていた。やっぱり子どもだもの。変な意地も張ったりしながら、その頃が一番辛かった」

 孫の手が何回か目元にいく。黙って私を見詰めている。

 そんな孫の様子を見ながら私は話を続けた。(つづく)(市揚町)

(沼朝平成24331日号)

 

 おばあちゃんは大先輩 下 花村邦子

 「二年生になる時、一中生は、今市立高のある場所に大きな公社があって、そこに引っ越すことになったの。本光寺さんとかPTAの役員さん達の世話で金岡中と一中は教材を分け合って、それを二`くらいの道のりを皆で運んだ。栄養失調の十三歳の子達が、机、椅子、黒板、理科の実験の教材などを胸に抱えて運んだの。大変だったけど、うれしかった。本当にうれしかった。

 まだ三月で肌寒く、その上、まともな靴もなく、足はグショグショで冷たい。皆、笑顔なのに泣いていて、顔も足もグチャグチャになりながら歩いた。疲れては休み休みして、目的地に向かう途中の野原には、クローバーの白い花やピンクの小さな姫あやめが咲いていた」

 話しながら私は、その風景に再会していた。ポロポロと落ちる涙を孫に重ねていた。孫の目も濡れていた。

 「二年生になり、一中生だけの仲間、幸せだった。校舎の東側半分には市立高のお兄さん連がいた。西半分が一中。お弁当の時間も楽しいものになり、少しずつ物が出回り始めて分け合えば足りるようになった。男子は野球、マラソン。女子は歌や、分かりもしない恋愛論など何もない分、希望がいっぱいだった。二期生も入って来て、少しずつ学校らしくなってきた。

そんな頃、一中の校舎が丸子町に決まった。私連一期生は、新校舎に入れないことは分かっていても、これからできる一中の校舎に夢をふくらませて、何度も運動場の整地に行った。小石を拾い、手に豆を作りながらコンクリートで出来た大きなローラーを引き、文句たれたれ、よく働いたよ。"後輩に幸あれ"と願って私達一期生は、辛い思いをいっぱいしたから、その分、頑張れたんだよ」

 ここまで話し、「これが沼一中の始まりだよ。何か感想は?」と水を向けると、「さほど感動的とはー」と孫は口を濁したが、その目は確かに濡れている。

 この話も戦災による犠牲の実態であるが、それでも夢も希望も持てた。食べるもの全てがおいしかった時代ー。

 沼一中一期生から数えて今年は六十五期生となる。この歳月の流れを「時代」だと一口でくくりたくない。教育の力は、かくも恐ろしいものかと今さらのように思う。その上、現在にあっては、天災、人災、原発、世界的経済不況と、どこまで犠牲を強いられるのか。

 東日本大震災から一年を過ぎた。家があっても帰ることができない人達。一方で、除染をしても放射能への不安が消えないままの帰郷。「がれき」の文字が私の心に突き刺さる。

 原子爆弾を落とされ、その怖さ、悲惨さを肌で感じて」「ノーモア、ヒロシマ」「ノーモア、ナガサキ」のはずの私達が無関心で過ごしてきた一時代。それが今度は「フクシマ」を生み出してしまった。孫達の未来.のため、限られた"いのち"の中で、今こそ脱原発を発信するしかないと思う。

 孫達の未来に花は咲くのだろうか。

 ーあの救世主の花は本当に咲くのだろうかー。(おわり)(市場町)

(沼朝平成2441日号)


2012年03月29日 14時04分

躍る雲


2012年03月22日 05時35分

2323年度沼津市立第一中学校卒業式
第63回沼一中卒業の動画を上段の「同窓会動画ブログ」に掲載。
又は、ここをクリック→http://youtu.be/s3OZJ8teRfQ へのリンク



2012年02月26日 11時16分

わが母の記:4月28日(土)ロードショー


2012年02月07日 12時16分

躍る雲10号


2012年01月12日 14時26分

躍る雲bX号


2011年12月22日 12時54分

第一中学校PTA広報「松葉」
 







2011年12月16日 18時23分

躍る雲(第一中学校学校たよりbW)



2011年11月04日 18時13分

大岡信の万葉集展

2011年11月01日 13時39分

OBの川口育夫さんが講演
 

 東高秋季講演会

 OBの川口育夫さんが講演

 実験車両焼失や故障

 苦難乗り越え進化を遂げる

 東高(杉本淳光校長)の振学対策委員会は二十八日、秋季講演会を岡宮の同校体育館で開いた。五中出身で東高二十一回卒の川口育夫さんが、「時速五〇〇キロへの挑戦ーリニアとともに」と題し、リニアモーターカー開発の歴史、そこに携わった技術者としての苦労、喜びなどを語った。

 振学対策委員会の井上慶三委員から「(同講演会で)久しぶりの理系講師」だと紹介されて登壇した川口さんは、事前に配布のレジュメに書かれていた硬式テニス部を立ち上げた高校時代のことには触れず、リニアモーターカーの話に入った。

 川口さんとリニアモーターとの出合いの場は入学した明治大学でのサークル。卒業後、リニアモーターに関わりたくて赤字続きの国鉄に入社。しかし半年間の研修後の配属先は信号や駅の表示板などを担当する通信関係だった。

 入社三年後、国鉄社員のまま東大で研究生活を一年間体験。宮崎県にあった浮上式鉄道実験センターへ転勤となって以来、国鉄、JR、鉄道総合技術研究所で二十八年間、浮上式鉄道の電力供給システム開発に従事。

 現在はジェイアール総研電気システムに勤務し、台湾新幹線や国内新幹線の開業前試験などのほか、環境問題化している変電所などの磁界を測定、LED照明の寿命予測試験も行っている。

 川口さんは、ある種の物質を一定温度以下にすると抵抗がなくなる超電導現象を説明。超電導状態となったコイルに電流を流すと永久に流れ続け、強力な磁界を発生。この超電導磁石を車両に載せ、ガイドウェイに取り付けた地上コイルとの磁気が反発と吸引を繰り返し浮上、走行するというリニアモーターカーの原理を解説した。

 走行中の車両を止める時は走行時と逆の電流を流すこと、地上側と車両側にブレーキがあること、また電気ブレーキのほか複数枚のブレーキディスクの摩擦力で止める機械ブレーキ、抵抗板で止める空力ブレーキ、走行路摩擦ブレーキがある。

 国鉄が超電導リニア開発を始めたのは一九六二年。七〇年に超電導浮上研究が始まり、七二年に浮上走行、七五年に完全浮上走行に成功。七九年、宮崎県の実験センターで浮上式鉄道走行実験を行い、その年の十二月に時速五一七`を記録。

 ここまで電気保守などを担当していた川口さんは八〇年、待望のリニアモーターの開発を担当。八二年に有人走行を開始し、八七年に有人走行で時速四〇〇`を記録。九〇年の山梨実験センター開設に伴い、二〇〇三年には三両編成の有人走行で五・六秒間、五八一`を持続するという進化を示した。

 宮崎では電気系統の故障で実験車両を焼失し、山梨実験線では試乗会当日、故障が発生したこともあったと振り返った。また五十歳を過ぎてから論文を書き、電気工学博士号を取得している。

 終了後、生徒との質疑応答では「車両の電力はどのように供給されているのか」「大江戸線などにリニアを採用しているメリットは何か」「車両同士のすれ違い時の衝撃波はどうか」などがあった。

(沼朝平成23111日号)



2011年10月24日

綾部氏社長就任祝いゴルフの後の反省会

 

薬の副作用で黒髪が生えてきた辻君↑




 

2011年09月15日 11時51分

第34回 躍雲祭案内
 

 第34回 躍雲祭の御案内

 沼津市立第一中学校

 校長 森雅宏

 爽やかな初秋の季節となりました。皆様におかれましてはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。

 さて、本年度も生徒会を中心に『仁結和』のスローガンのもと、第34回躍雲祭を下記により開催いたします。

ご多用とは存じますが、ご来場いただき、生徒たちの日ごろの学習成果をご覧の上、激励くださいますようご案内申し上げます。

 1 平成23930()『躍雲祭文化の部』

 (1)時間・910分〜1210

 (2)会場・沼津市立第一中学校体育館

 2平成23101()『躍雲祭体育の部』

 ()時間・830分〜1450

 (2)会場・沼津市立第一中学校グランド

 ※体育の部当日雨天の場合は、102()に順延します。


2011年09月02日 14時22分

5人じじいの疲れた珍道中
 昨年12月9日〜14日、「癒しのルアンパバン&ビエンチャン」のキャッチコピーに
 誘われて?騙されて?5人じじいの疲れた珍道中をしてきました。太田が経営して
 いた「熱川温泉ホテル」に集い、英気を養おうと、同期生の仲間を募り「輩会」 
という勝手会を創って、集まっていたが・・・旅行の会に発展というわけで・・
 今回の会催行は、辻、綾部、大場、望月、端山=5人となった次第でして・・・
 第1弾=ルアンパバンでのホテル(ラマヤナ・ブティック・ホテル)前で、王宮 
博物館敷地内の仏像を納めた金ピカ色の祠です。11日撮影


 第2弾=プシーの丘の頂から見た「メコン川とルアンパバンの家並み」11日撮影
 12日ビエンチャン市内観光、ラオスの象徴「タートルアン」と前での記念写真、
  歴じい 端山しげき
 次回は、スリランカに・・・ワープとエヘヘといきたいな!


2011年08月30日 15時41分

一中広報紙「松葉第101号」
 

2011年08月29日 16時19分
原田真人監督:モントリオール世界映画祭受賞
 

モントリオール世界映画

 「わが母の記」特別賞

 カナダで開催されていた第35回モントリオール世界映画祭で29日午前(現地時間28日夜)、伊豆ゆかりの文豪井上靖の自伝的小説をもとに県東部などで撮影した映画「わが母の記」(原田真人監督11沼津市出身)が、最高賞に次ぐ審査員特別グランプリに輝いた。

 幼いころ実母に育てられなかった小説家が、老いて記憶を無くしていく母を温かなまなざしで見つめ、家族3世代の絆を描いている。役所広司さん、樹木希林さん、宮崎あおいさんらが出演し、今年23月にかけて伊豆市湯ケ島や沼津市などで撮影された。来年公開予定。

 国内からはほかにも、さだまさしさんの小説を映画化した「アントキノイノチ」(瀬々敬久監督)が、革新的で質の高い作品に贈られるイノベーションアワードに選ばれた。

 ★モントリオール世界映画祭 北米最大規模の映画祭。昨年、「悪人」の深津絵里さんが最優秀女優賞を受賞したほか、2006年に奥田瑛二監督の「長い散歩」、08年に滝田洋二郎監督の「おくりびと」がそれぞれ最高賞のグランプリを受賞するなど、日本映画が高く評価されている。

 

 舞台の沼津・伊豆歓喜

「美しさ見てほしい」

 原田真人監督の映画「わが母の記」が29日、モントリオール世界映画祭で最高賞に次ぐ審査員特別グランプリ受賞したとの一報に、ロケを誘致した沼津市や伊豆市の関係者から、喜びの声が上がった。

 「県東部で全面支援した作品で、このような国際的な賞を受けたのは初めてでは」。沼津商工会議所・ハリプロ映像協会の飯島充子さんは声を弾ませた。原田真人監督から「撮影地を探してくれないか」と依頼を受けたのは、200912月。真冬の風が吹く中、古民家や渓谷を案内した。

 地元を重んじる原田監督の意向もあって、作品の半分以上が、伊豆市と沼津市を舞台に撮影された。飯島さんは「井上靖が描いた家族愛と、両市の自然美があいまって、世界的な評価を受けたことがうれしい」と話した。

 主人公の少年期を演じた沼津市立大岡小6年の土屋風丸君(12)は、「一生懸命演技したのでうれしい」と率直に感想を語った。

 伊豆市の菊地豊市長は「一人でも多くの人に伊豆、沼津の美しさを見てほしい」、沼津市の栗原裕康市長は「地元の人間として誇らしい。世界的な知名度を高めるきっかけになれば」と願った。

【静新平成23829()夕刊】


2011年08月25日 17時08分

くるみ屋(松浦幸子店)訪問

くるみ屋(松浦幸子店)訪問について

 20日(土)久しぶりに東京行き鈍行に乗り、東京在住一中・沼東同期生(特に鳥潟と山村)が噂の「くるみ屋餃子」を食べに、オーナーの佐藤(旧姓松浦)さんに会いに、出掛けてきました。成瀬なんか1週間に一度行ってるとの話、確かにグルメの歴じいのワシも「うまい」、店の雰囲気も家庭的だが、もう息子さん主体?で、彼女は店にでていないとのことです。帰りに、下宿していた下北沢の代沢5丁目付近を散策、渋谷にでて、NHKワンダーワンダーの公開収録に参加して、神田愛花のサインを、厚かましくもらい握手も、ウキウキして23時帰宅、24時就寝、一日充実した時を過ごしてきましたぞ!     端山

神田愛花アナウンサー




2011年08月25日 09時51分

東海大会B編成で金賞受賞
 

 一中吹奏楽部が昨年に続き

 東海大会B編成で金賞受賞

 一中(森雅宏校長)の吹奏楽部は、静岡市民文化会館で二十一日に開かれた吹奏楽コンクール・中学校B編成(三十人以内)の東海大会で県代表として演奏。出場十五校のうち上位六校が選ばれる金賞を二年連続で受賞した。

 同部は、音楽家の林圭一郎さんにコンクールで演奏する曲の作曲を依頼。「蝕」と題した現代曲を部員二十三人で演奏。

 顧問の芹澤淳教諭は大会を振り返り、「東部、県大会と比較しても今までで一番良い演奏で、生徒達も満足していた。会場の評判も良く、県大会後の短期間で、よく上達したと思う。昨年同様に金賞を受賞できてホッとした」と話している。

(沼朝平成23825日号)


2011年08月18日 12時48分

今年も一中が東海大会
 

今年も一中が東海大会

 吹奏楽コンク 難易度高いオリジナル曲で

 一中(森雅宏校長)吹奏楽部は、七日に静岡市民文化会館で開かれた県吹奏楽連盟主催の県吹奏楽コンクール・中学校B編成(三十人以内)に東部地区を代表して出場し、金賞を受賞。昨年に引き続き上位三団体が選ばれる県代表となり、二十一日に静岡市民文化会館で開かれる東海大会に出場する。

 顧問の芹澤淳教諭は、歴任校も含め、吹奏楽部顧問として十一回目の東海大会進出。一中吹奏楽部は、トランペットなどの金管楽器がない構成で少人数ながら難易度の高い曲で毎年、コンクールに挑戦している。

 昨年はラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調」より第2楽章、第3楽章をアレンジした超絶技巧の曲で臨み、県大会で最高賞の県知事賞を受賞、東海大会で金賞に選ばれた。

 昨年の大会で主力だった三年生十三人が抜け、残った部員は一、二年生合わせて十三人。今年は大会への出場自体が危ぶまれたが、部員個々の技術の高まりと、新入部員十一人を迎えたことから今年も挑戦することに。芹澤教諭は「今年もオーケストラの曲ではないか、と見られていたようだが、昨年と同じ音楽はやりたくない。聴く人を驚かせてやろう」と、自身もアンサンブル以外では初の試みとなるオリジナルの現代曲に挑戦。

 昨年アレンジを依頼した音楽家の林圭一郎さんに、一中の編成に合わせたコンクール用の作曲を依頼。六月に入り、パートごとに出来上がった分から順に練習を開始。曲の全てが揃ったのは大会の二週間前だった。

 それから三日間、譜読みを行って練習し、通しで音合わせができたのは一週間前。そこに林さんが来て、その場で一人一人の楽譜を書き直してそれぞれが対応し、大会直前に曲を完成させた。

 芹澤教諭は「誰も聞いたことがなく、手本の演奏もない中で、生徒達は楽譜を頼りに対応していて、中学生の持つ可能性はすごいと思った。楽譜も現代曲なので難しく、吹きこなすまでも短時間だったが、頑張っていた」と振り返る。

 「蝕」と題した自然現象を音楽化した曲で、邦楽の和音を使い、打楽器を多用。不思議な音を響かせるボウル形の楽器シンギングボウルの静かな音色で始まり、ソロパートが続いて、中間部の踊りをイメージした速いテンポからクライマックスに向かい、最後は静かに終わる。音階があるアンティークシンバルのクロテイルや風鈴も使う。

 県大会では、「緊張感が全てだった」という芹澤教諭。「ステージ上の緊張感より客席の反応に緊張した」といい、「始まりから会場は静まり返り、客席から息をのむ音が聞こえてくるようだった。吹奏楽関係者なら、中学生がよくこれだけのことをやるな、と驚いたはず」と振り返る。

 曲のインパクトで観衆を釘付けにしたが、演奏自体は「もう少し良い演奏ができたのではないか」と後悔もある。東海大会では、「自分達が目指す曲を聞かせたい」と話す。

 原千咲季部長は「昨年とは曲の雰囲気も大きく変わり、半分は一年生。初演の曲なので、雰囲気を大事にした。ソロ部分もあり、一人一人の技術が求められて練習は大変だった。県大会は、まあまあの出来だったが、伝えたいことを出し切れていない。東海大会で出し切りたい」としている。なお、同コンクールの中学校県大会には、B編成に市内から一中以外に、門池中、市立高中等部、A編成(五十五人以内)に金岡中が出場し、いずれも銀賞。B編成の上位大会は東海大会まで。高校県大会には、A編成に市内から三校が出場し、沼商が銀賞、東高と市立高が銅賞。B編成にも市内から三校が出場して、西高が銀賞、加藤学園暁秀高と沼工が銅賞だった。

(沼朝平成23818日号)


2011年08月13日 15時14分

23回香陵ゴルフ大会案内
 

 平成23年度第27回香陵ゴルフ大会のご案内

27回の香陵同窓会ゴルフ大会が下記の内容で開催されることとなりました。

万障お繰合わせの上ご参加下さるようご案内申し上げます。

とき 平成23923日(祝)

   午前8時受付開始

ところ 沼津ゴルフクラブ

TELO55-921-0611

27ホール(乗用カート使用)

競技方法 18ホールストロークプレー(ダブルペリア)

会費 3,000

プレー費 16,000(個別精算)

(キャディフィ、食事代含む)

申込〆切平成2393日(土)

主催 香陵同窓会会長 斎藤衛

沼津香陵会会長 芹澤洸

ゴルフ部会部会長 神農泰彦

当日のスタート順、組み合わせは、918日〜922日の間下記ホームページ上に掲載します。

http://www14.plala.or.jp/koryokai/

http://www.kk-kato.co.jp

問い合せ:香陵同窓会事務局(TELO55-923-0680)

s-kato@kk-kato.co.jp(TELO55-921-2225)

渇チ藤工務店内加藤修一



2011年08月12日 16時39分
東高漕艇部練習(合宿)
 ボート部の合宿での早朝練習の動画を上段の同窓会ブログに掲載しました。

2011年08月08日 14時22分
香陵同窓会後のマゼル「市川君の娘さんお店」にて同期生の語らい。
 


2011年07月02日 10時47分

佐藤英夫沼朝寄稿記事
 

井上靖「わが母の記」 佐藤英夫

 この度、沼津市名誉市民、井上靖氏の『わが母の記』が、原田眞人監督の下で「わが母」として映画化され、大変うれしく思います。

 主人公が少年時代を過ごした伊豆、沼津でも撮影が行われたとのこと。上映の際には作品内容もさることながら、富士の眺望、海、山、川、などの風物詩も楽しみにしております。我が郷土(ふるさと)を日本、世界に広く紹介する絶好のチャンスだと思います。原作はすでに英、独、仏語訳になっています。

 監督の原田さん(一九四六年生まれ)は、沼津市出身。一中から東高二十回卒。主な作品は「金融腐蝕列島・呪縛」「クライマーズハイ」「突入せよ!あさま山荘事件」など。

 映画は来春公開の予定で、数々の海外映画祭への出展も予定とのこと。期待しております。

 映画では、主人公、洪作役の役所広司氏は無論ですが、母役の樹木希林さんは心理描写も多く、その表現、表情、声にしても大変難しい役と察します。

 『わが母の記』三部作は主人公の目から見た母の老耄の記録です。八十九歳で亡くなるまでの最後の十年間が綴られています。誰しも、いつの時代でも生きる喜び、母への愛は不変です。芸術性の高い作品です。

 現代は高齢社会。介護、社会福祉が国の最重要課題となり、その規模は拡大の一途です。そのような意味においても「わが母」の映画化は時代にマッチし、今日的意義は大きいと言えます。

 原作『わが母の記』三部作の構成は次の通りです。

 『花の下』昭和三十九年六月「群像」初出

『月の光』昭和四十四年八月同

『雪の面』昭和四十九年五月同

 前二作は母親の生存中に、後の一作は没後に発表されました。小説とも随筆ともつかぬ形で母の老いた姿が綴られています。

 誰しも出生、成人、老化、死は不変であり、""は、その出発点であると思います。人間の絆は親子の愛であったり、兄弟の愛であったり、家族愛、助け合いであったりします。

 今も読んでいて主人公の優しさ、穏やかさ、気配り、礼儀などがよく分かります。特に母親には誰しも格別な思いがあります。

 井上氏の家族のことを取り扱った作品は父の『風』だけだと思います。『わが母の記』で、他の作品では分からない氏の人間性、あたたかさ、思いやりに触れ、心が和みます。

 また、井上氏は亡くなる三週間ほど前、「私の死後三十年たったら、恐らく作品は、ほとんど消えていく。残るとしたら『しろばんば』『わが母の記』『孔子』でしょう」と話された。それだけ『わが母の記』には思い入れが大きかったと察します。

 三部作は、昭和五十年三月に単行本『わが母の記』として講談社から出版されました。当時の同社文芸局長、杉山博氏(東高五回卒)はすでに亡くなっていますが、奥様の話によると「家も近かったので、よくかわいがってもらいました。主人もお酒は強いほうでしたが、先生にはとてもかなわない。中国の強いお酒をよく飲まされました」とのこと。その方面で井上氏は「東の横綱」と言われていました。

 『わが母の記』は、現在、講談社文芸文庫で発売中です。 (書店経営、高島町)

【沼朝平成2372()「寄稿記事」】

2011年06月28日 10時39分
東高16回期生:村松敏弘氏第一小校庭脇に井戸ポンプ設置寄贈
 

 第一小校庭脇に井戸ポンプ設置

 沼津の井戸松商会

 沼津市末広町の井戸松ポンプ商会(村松敏弘社長)はこのほど、市立第一小の校庭脇に手押しポンプ付きの井戸を設置し、27日、同小で贈呈式を行った。

 同社は同市周辺で100年以上にわたり井戸掘り事業を手掛ける老舗業者。東日本大震災を受け、地域の防災拠点で震災時は避難所となる同小の給水設備として役立ててもらおうと設置を提案した。井戸は6月上旬、「打ち込み」という昔ながらの技法で掘り、地下810bから水をくみ上げている。

 式典では、4年生の代表7人が「運動した後に使ってみたいです」「大きな地震が起きても安心です」などとお礼の言葉を伝えた。児童は早速、ポンプを動かし、井戸水の冷たさや水をくみ上げる大変さを体験した。

【静新平成23628()朝刊】

 一小校庭に昔ながらの井戸

 災害も念頭に伝統技術で掘削

 末広町の井戸松ポンプ商会(村松敏弘社長)は、一小校庭に井戸を掘り、手押しポンプを取り付けて同校に寄贈。贈呈式が二十七日に開かれ、村松社長や村松弘充常務らが同校を訪れ、井戸掘りの経緯や注意点を説明した。

 同社は、東日本大震災の後、井戸掘り技術を地元の地域防災や環境教育のために役立てようと、同校の大嶽薫充校長の賛同を得て、校庭南側に井戸を掘った。

 村松常務は、「災害によって水道が止まり、機械が使えない状況下で新たに井戸を掘らなければならない」という想定の訓練的要素も込めて行ったと言い、全て手作業による伝統的な技術で五月二十八日に掘削。

 足場を組み、人力で約一〇b下の地下水が湧き出る地点までパイプを打ち込んで、手押しポンプや外装を整えて一日がかりで完成させた。

 贈呈式で村松社長があいさつ。「この地下水は飲用には適さないので、花への水やりや、子ども達が水に親しんだり、遊んだりするために使ってほしい。地震等の災害時には煮沸すれば飲用にできるし、食器や衣類を洗う水にも使える」と話した。

 ポンプには呼び水を入れた上、何度か手で動かさなければ水は出てこないが、村松常務は「水道のように蛇口をひねっただけでは水は出ない、昔ながらの井戸や、井戸を使っていた当時の暮らしについて学ぶきっかけにもなれば」と話す。

 贈呈式には、社会科見学で市歴史民俗資料館を訪れ、手押しポンプの井戸など昔の暮らしについて学んだ四年生児童が参加。児童代表が、「さっそく頭を洗うのに使った」「大きな地震が起きても安心」「これから大切にして皆で仲良く使いたい」と、お礼の言葉を述べた。

 大嶽校長は「毎日、花への水やりに使っている」といい、「児童達の防災意識を高め、エコ活動や社会科、水の学習などでも活用していきたい」と話した。

【沼朝平成23630()号】



2011年06月14日 09時24分

同期の友人よりのメール
 

お久しぶりです。お元気ですか。景気の悪さをエンジョイしています。

 

先週の金曜日NHKの6月10日放送分、50ボイスという番組に、弊社のことが放映されました。

ヤフーで「50ボイス」:小さなナンバーワン企業で検索すると出ています。

ご覧ください。     鳥潟

 

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「景観テクノロジ−」タイヨウポール

テック大洋工業株式会社      鳥潟浩司

ホームページ     http://www.ttkk.co.jp

                


2011年06月11日 11時05分

香陵同窓会案内
 

「香陵同窓会総会」・「第27回沼津香陵会総会」

 

会員各位 20116月吉日

 香陵同窓会会長 斎藤 衛

 沼津香陵会会長 芹澤 洸

 当番回期代表(59) 山田勝造

 当番回期 59(16)64(21)69(26)74(31)79(36)84(41)89(46)

 

 「香陵同窓会総会」並びに「第27回沼津香陵会総会」を下記の通り開催いたします。お誘い合わせの上ご出席下さい。

 記

 ■日時 平成2386日(土)受付1500(例年通り8月第1土曜日)

総会 15:3016:40

講演 17:0018:00

懇親会 18:3020:00

 ■場所 沼津東急ホテル(沼津市上土町100-1 TELO55-952-2411)

 ■会費 7,000(当日受付にて)

 記念講演会

 講師 原田眞人(63回期)映画監督

 演題『「わが母の記」と小津安二郎』

 ★香陵同窓会事務局:電話055-923-0680 Fax:055-923-0681


2011年06月04日 11時18分

沼津東高美術部OB
 

 ジャンルさまざま50

 8日まで沼津東高美術部OB

 県立沼津東高の美術部OBによる「創作展」が8日まで、沼津市大手町のしずぎんギャラリー四季で開かれている。

 同校の前身、旧制沼津中の元美術部教師から東高62回卒まで、80代から20代までの約30人の作品約50点を展示している。

 ジャンルは、油彩、水彩、パステル画から、版画、陶芸、ガラス細工、彫刻、写真などさまざま。170a四方の油彩画の大作や、同市の海岸で集めた石にフクロウを描いた「石ころ戯画」など来場者の目を引いている。

 OBの杉山公一さん(71)は「年齢も職業も、県外在住など住む場所もさまざまなOBの個性を楽しんでほしい」と話す。入場無料。

【静新平成2364()朝刊】


2011年06月01日 10時48分

東高美術部OB創作展
 

 東高美術部OB創作展 杉山公一

 美に憧れ、美を求め、美を敬いつつある自分たちの、今ある原点を求めて振り返り、確認する場として、願わくば互いに刺激し合い、さらなるステップアップをも期待して、二〇〇四年に始めたOB創作展の第3回展を、このたび開催することになりました。

 今回も中央や地方で活躍する重鎮から、趣味の領域の者も皆同列として、年齢も旧沼中43回生から105(62)(大学生)までの広範囲の朋友により、多岐にわたる作品を持ち寄ってもらいました。

 作品は油絵を主として、日本画、水彩画、版画、写真、陶芸、彫金、ガラス工芸、モザイク、彫刻、切り絵、立体、その他諸々です。

 ご覧になられる方々の手の届く領域として、楽しんでいただきたいと思います。皆様の多数のご来場をお待ちしています。

 出品者は、41回飯島孝(恩師)、飯島和子(恩師夫人)43回佐藤友哉、46(3)蛭海啓行、47(4)竹内欽二、萩倉亨、49(6)輿石甫、塩谷薫子、51(8)青木輝彰、長田玄也、高島祐二、高杉學、52(9)植松寿、大庭寛明、輿石勲、志賀(斎藤)恵美子、森(片岡)生子、森(池田)記子、53(10)杉山公一、廣岡(浅賀)弘子、松本勝、54(11)林淑子、55(12)吉野(常松)敦子、62(19)青島正和、杉山高行、64(21)中畝常雄、104(61)森悠貴、105(62)遠藤艮亮の二十八人です。

 皆同列の観点から一人一人の肩書は記しませんが、中央の美術団体の創画、蒼騎、二期、地元の静流会、風土、その他からなるメンバーです。

 特筆すべきは、今回から写真部門も加わった点で、エプソン二○〇七、ネイチャー部門のグランプリ受賞作品や写真集なども展示されます。

 沼津東高美術部OB創作展は六月二日()から八日()まで、しずぎんギャラリー「四季」で開催。午前十時(初日は午後一時)から午後五時(最終日は午後一時)まで開かれます。期間中は無休です。

 お問い合わせは高島(電話九三一の一四○一)まで。

【沼朝平成2361()「言いたいほうだい」】


2011年06月01日 10時09分

訃報:上杉千春氏(高校16回期)
 

夫 上杉千春儀

 五月二十八日六十五歳で永眠致しました

 ここに生前のご厚誼を深謝し謹んでご通知申し上げます

 一、通夜

 五月三十一日()午後六時三十分

 (駿東平安典礼会館)

 一、葬儀 六月一日()午後一時三十分

 一、場所

 駿東平安典礼会館 (駿東郡清水町久米田六九-)

 

 駿東郡長泉町上土狩五三八-

 喪主 上杉裕子

 施主 上杉知資

 外親戚一同

 上杉会計事務所


2011年05月15日 17時16分

沼津東、静清破るサッカー
 

県高校総体

 沼津東、静清破るサッカー

 県高校総体は14日、サッカー、卓球などを行った。サッカーは静清高グラウンドなどで男子1回戦5試合を行い、沼津東が逆転で21と静清を下した。1点を追う沼津東は後半10分にFW堤の得点で追いつき、延長後半終了間際に再び堤が決めて勝ち越した。浜名、下田、浜松湖東、島田も2回戦に駒を進めた。

(静新平成23515日朝刊)


2011年04月25日 10時12分
訃報
 

 大賀典雄氏

ソニーの飛躍指揮 沼津で「タクト」、交流

「哀惜」 23日死去したソニーの大賀典雄氏は、同社を家電製品を製造する電機メーカーから、ソフトウエアも併せ持つ複合企業へと変身させた。「ハードとソフトは車の両輪」として、社長在任中の13年間に音楽や映画などのソフト事業に参入し、ソニーの飛躍を指揮した。

 大賀氏は、入社直後から商品ごとにばらばらだったデザインや広告を見直し、「SONY」のロゴのデザインも手掛けるなど、当時の日本では先駆的なブランド戦略を推進。洗練された企業イメージの確立に貢献した。さらに、CDをオランダ電機大手フィリップスと共同開発し、レコードに代わる記録媒体の規格統一を陣頭指揮。特にCDの収録時間をめぐって、約75分あるベートーベンの「交響曲第九番」など主要なクラシック楽曲を1枚に収めることを要求し、約60分を主張したフィリップスを押し切ったことは有名だ。

 CD開発の理解者だったオーストリアの名指揮者カラヤンとは公私ともに親密で、カラヤンの最期をみとったことでも知られる。ベルリン国立芸術大学を首席で卒業し、ベルリンフィルなどで指揮者、音楽家としても活躍した。

 出身地の沼津市でもオーケストラの公演を度々開いて自ら指揮を執ったほか、市ゆかりの著名人として地元のPRにも協力するなど、郷里の発展に寄与した。

 沼津市の千本で育った大賀氏は幼いころから声楽家を目指し、沼津市立第二小、旧制沼津中(現県立沼津東高)から音楽の道に進んだ。ソニーの会長時代に理事長に就任した東京フィルハーモニー交響楽団を率い、沼津市内では2002年と04年にタクトを振るったほか、地元の子供たちとも交流を深めた。

 1992年には同市の魅力を広く紹介する「燦々(さんさん)ぬまづ大使」に就任するなど、地域振興にも一役買った。浜松市には大賀氏が先祖から受け継いだ土地約1800平方bを寄贈。現在は農園と公園を併せた「鴨江いきいき菜園」として整備されている。

 沼津東高の後輩にもあたる栗原裕康沼津市長は「世界的に名の通った偉人でありながら、故郷への愛をもって地元のために活動してくださった。訃報を聞き、大変残念に思う」と話した。

 大賀氏は23日午前914分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は妻緑(みどり)さん。後日、社葬を執り行う。

「静新平成23425()


2011年04月10日 17時42分
戦没同窓生を供養
 

 戦没同窓生を供養

 旧制沼津中OBら 平和実現誓う

 旧制沼津中・現沼津東高のOBでつくる香陵同窓会は9日、戦没同窓生の供養と平和実現を誓う記念式典を沼津市の香陵平和記念碑で行った。

 第2次世界大戦で戦死した同校出身者の遺族やOBなど約30人が献花し、追悼の意をささげた。遺族を代表し、終戦直前に実兄をビルマ(ミャンマー)で亡くした遠藤克和さん(82)が「戦時中の思いは決して忘れることはない」と述べた。同会平和記念実行委員会の江藤敬広委員長(82)は「同窓生にも戦没者が多数いた事実を風化させず、平和につなげたい」と話した。

 同校は戦争で283人の同窓生が犠牲になったとされ、同会などが戦没者名簿を作成した。記念碑は旧沼津中があった同市御幸町に4年前に建立され、毎年追悼行事を行っている。

(沼朝平成23410日号)


2011年04月06日 16時05分

沼一中23年度入学式






2011年04月06日 15時48分

訃報(佐藤繁氏)
 訃報

関係者各位

沼一中12回期・沼東16回期卒
病気療養中でしたが、佐藤繁君ご逝去。
 合掌

4月5日午後7時通夜
4月6日午前11時30分葬儀
共に会場:平安葬祭会館大岡
沼津市大岡2170−1


2011年03月17日 16時17分
第62回一中卒業式
 平成23年3月17日(木)午前9時より、第62回一中卒業式が行われた。
 上の段の「同窓会動画ブログ」に掲載しました、ご覧下さい。

2011年03月10日 17時11分

第65回入学式

2011年03月10日 17時09分

第62回卒業式

2011年03月10日 17時06分

躍る雲
 

2011年03月10日 15時26分

平成23年3月10日(木)一中同窓会入会式


2010年11月09日 12時47分
伊藤琢磨さん
 

 東高出身の伊藤琢磨さん

 東大漕艇部で活躍

 東高出身で東大漕艇部に所属する伊藤琢磨選手が、ゆめ半島千葉国体の成年男子シングルスカルで三位に入賞した。

 御殿場西中から東高に入学した伊藤選手は入部後、初めて競漕用のオールを手にした。高校時代は漕ぎ手四人の舵手付きクオドルプルで三年生の時に全国総体出場。また、その年の国体同種目で県代表の一員として準優勝している。

 卒業後は明治入政経学部に進学し、ボート競技を継続。主将を務め、エイトのほかシングルスカルなどに挑戦したが、特筆すべき記録、成績を残すことはできなかった。

 しかし、東大公共政策大学院の公共管理コースに入学後、シングルスカルに専念すると技術の上達もあり、めきめき力を付け今年の全日本大学選手権で二位、全日本選手権と国体成年で三位に入賞している。

 東高時代の伊藤選手を知るボート部OBは「パワフルだが、不器用なため他の漕ぎ手とリズムが合わないので、個人競技のシングルスカルが適している」と話す。

 東大選手の大学選手権入賞は、舵手なしフォアで出場した東高OBの川口友之さん(沼津二中出身)以来十五年ぶり。伊藤選手は先月三十日、市内で開かれた東高ボート部総会に出席し、今年の成績と電源開発への就職を報告。

 伊藤選手は社会人となってからも競技を続ける考えだが、電源開発にはボート部がないため大会へは個人参加。遠征費などの活動費も自腹を切ることになる。

 身長一八〇a、体重七五`の伊藤選手。ボート競技は体格のハンディを考慮し体重別階級制を導入しているが、オリンピックのシングルスカルだけには採用されていない。

 伊藤選手は総会で、「ロンドンオリンピック(二〇一二年開催)は、軽量級ダブルスカルで出場を目指したい」とボート部の諸先輩を前に抱負を語った。

(沼朝平成22116日号)


2010年10月21日 16時55分

コミュティぬまづ第一広報紙(上段の写真集2に画像を掲載)

2010年09月23日22時29分

香陵ゴルフコンペに参加した16回期生の面々
香陵ゴルフコンペ9月23日
豪雨の中のコンペでした、ハーフで打ち切り。
16回期生参加メンバーは、左から望月・芹澤・山田・太田・山川・鳥潟。
賞品は誰も貰えなかった。



2010年09月01日 14時33分
金賞

吹奏楽部金賞:東海吹奏楽コンクール

65 回東海吹奏楽コンクールが長野県伊那文化会館で行われました。

結果は見事金賞!素晴らしい演奏でした。



2010年09月01日 13時48分

沼一吹奏楽部が東海大会で金賞

吹奏楽部金賞:東海吹奏楽コンクール

65 回東海吹奏楽コンクールが長野県伊那文化会館で行われました。

結果は見事金賞!素晴らしい演奏でした。

 


2010年08月17日 17時36分
一中吹奏楽部が東海大会へ

 



「一中吹奏楽部が東海大会へ」

県大会30人以内の編成で最優秀校に

 少人数、特別編成で

 超絶技巧の曲挑戦に評価

 一中(森雅宏校長)の吹奏楽部は、富士市文化会館ロゼシアターで開かれた県吹奏楽連盟主宰の第51回県吹奏楽コンクールの中学校B編成(三十人以内)に東部地区代表として演奏し、金賞を受賞。最優秀校として県知事賞が贈られ、二十八日に長野県伊那市で開かれる東海大会に出場する。

 一中吹奏楽部顧問を務める芹澤淳教諭は、原中や三中の吹奏楽部を指導し、これまでに顧問として九回、東海大会に出場しているが、一中に赴任した六年前、吹奏楽部の部員は三人で、「東海大会の出場は全く考えられなかった」。その後、部員を集めて赴任二年目の十八年度から同コンクールB編成に挑戦。

 十八年度は東部大会銀賞で県大会出場を逃したが、十九年度以降は毎年、東部大会で金賞を受賞し県大会の常連に。県大会でも金賞を受賞しているものの、これまで上位三校が選ばれる県代表には、あと一歩のところで及ばなかった。

 今年の部員は二十五人で、コンクールには三年生十四人をはじめ全員が出場。トランペットやトロンボーンなどの金管楽器がなく、フルート、クラリネット、サックス、コントラバス、打楽器で構成し、「実人数が少ないこともあって、この形式で数年間やってきた。人数が少なくても工夫すれば、上位を狙えることを示したかった」という特別編成。

 今回コンクールで演奏した曲は、ラヴェルの「ピアノ協奏曲卜長調」より第2楽章、第3楽章。

 芹澤教諭は「本来、吹奏楽で演奏する曲ではない超絶技巧の曲で、コンクールでも演奏されるのは初めてだと思う。一中の編成に合わせた編曲を依頼した」という。

 「大変な曲だけど演奏を楽しみ、楽しく聴いてもらい、ビックリするような演奏にしよう」と生徒を励まし練習を重ねた。

 県大会では、他の出場校とは違った珍しい曲を特別編成でこなす生徒達の演奏が高く評価されて最優秀校に選ばれ、東海大会にコマを進めた。

 芹澤教諭は、「昨年、一昨年よりも演奏がレベルアップし、曲や編成で仕掛け、これでだめだったら、もう東海大会は無理だと考えていた。部員数が少ない学校でも、やり方次第で高く評価されることを証明できて良かった」と言い、顧問として十回目となる東海大会出場に加え、「県知事賞受賞は初めて」と喜んでいる。

 高木彩部長は「一年生の時から東海大会に行くのは夢だったので、最後の年に行くことができてうれしい。曲は難しかったけれど、部員一丸となって楽しく練習ができた」と振り返り、「県大会では納得できない部分や失敗もあったので、東海大会ではミスのない完壁な演奏で、最優秀を狙いたい」と熱く語る。

 今回、同コンクール中学校県大会には、全部門を通じて市内からは一中が唯一の出場で、B編成の上位大会は東海大会まで。

(沼朝平成22817日号)

 


2010年08月13日 18時19分

沼津市立第一中学校吹奏楽部県大会一位通過

吹奏楽県大会結果

 

おめでとう!!

吹奏楽部県大会B編成一位通過 東海大会出場決定。

8月28日(土)長野県伊那文化会館にて


2010年07月19日 19時01分
沼津市立第一中学校同窓会総会の写真集と動画の案内


沼津市立第一中学校同窓会会員各位

7月17日開催された、総会の写真集を上の段の「写真集2」に
動画を「同窓会動画ブログ」に掲載しました。

2010年07月09日 08時21分

沼津市立第一中学校同窓会第14回総会案内


2010年07月04日 09時39分

躍る雲(沼津市立第一中学校学校だよりbS)

2010年06月26日 16時39分

香陵同窓会総会のご案内

 

 

香陵同窓会 会員各位                    20106月吉日

 香陵同窓会会長一井口賢明

 沼津香陵会会長芹澤涜

 当番回期代表(58)伊藤正彦

 

当番回期 58(15)63(20)68(25)73(30)78(35)83(40)88(45)

 「香陵同窓会総会」並びに「第26回沼津香陵会総会」を下記の通り開催いたします。

お誘い合わせの上ご出席下さい。

 ■日時 平成2287(±)受付1500 (例年通り8月第1土曜日)

 ・総会15:3016:30

 ・講演17:0018:00

 ・懇親会18:3020:00

 (司会南條亜紀子78)

  ■場所沼津東急ホテル

 (沼津市上土町TELO55-952-2411)

 ■会費7,000(当日受付にて)

記念講演会

 沼津東高等学校元教頭

 講師近藤昭三先生(昭和29年〜54年在籍)

 演題『香陵25年の思い出』

 一沼東生9,862名との出会い一

 ★香陵同窓会事務局:電話055-923-0680Fax:055-923-0681


2010年06月23日 18時34分
第14回沼津市立第一中学校同窓会総会のご案内

14回沼津市立第一中学校同窓会総会案内

同窓会員各位

二年に一度開催されます、同窓会総会のご案内です。

今回の講演会の講師には一中卒業生ではありませんが、NHK静岡の女性ニュースキャスターさんをお招きして行います。同窓生のご出席を宜しくお願いいたします。

         記

日時 平成22717日(土)1320分受付

14回総会 2時より

会場 沼津市立図書館4階視聴覚ホール

 

講演会 3時より

会場 沼津市立図書館4階視聴覚ホール

演題 「思いがが伝わる声・言葉」

講師 平山佐知子さん(NHK静岡女性ニュースキャスター)

☆総会・講演会のみ出席の場合無料

 

懇親会 430分より

会場 銀座ライオン(沼津駅南口桃中軒ビル7階)

会費 5000

登録受け付けは図書館4階視聴覚ホール前と銀座ライオンの二カ所に設置します。

☆学生すべて無料

以上

平成22623()

沼津市立第一中学校同窓会


2010年05月26日 16時23分

最近の櫻田光雄君
5月25日商連第2ビル(旧沼津軒ビル)で
ある、組合の総会後の懇親会での櫻田光雄君。
元気いっぱいの櫻田君です。

2010年05月02日 14時26分

沼津市立第一中学校だより

2010年04月04日 09時53分

戦没同窓生の碑に献花
 戦没同窓生の碑に献花
 沼津思い出語り祈念式典
 県立沼津東高・旧制沼津中の同窓会「香陵同窓会」は3日、沼津市御幸町の同校跡地の「平和祈念之碑」前で、平和祈念式典を開いた。約40人が参列し、思い出を語るなどして戦死した同窓生をしのんだ。
 香陵同窓会戦没同窓慰霊委員会の梶原亨委員長が「親友が命を落としていなかったら、今も同窓会で再会を喜び合っていたと思うと、いたたまれない気持ちになる。これからも、仲間をしのびながら、戦争のつらさを伝えていきましょう」とあいさつ。追悼の言葉を述べ、石碑に向かって全員で校歌を歌った後、花を手向けた。
 「祈念之碑」は283人をしのぶため、2007年4月に同窓会が建立した。
 平和祈念之碑に花を手向け、手を合わせる参列者=沼津市御幸町
(静新平成22年4月4日(日)朝刊)


2010年03月23日 19時01分

沼東女子ボート部ヤッタ!

全国高校選抜大会 女子クオドルプル 

沼津東6年ぶりの歓喜


 

全国高校選抜大会は20日、浜松市の天竜ボート場のボートやバレーボール、柔道、ソフトボール、弓道、相撲を行った。ボートは、女子のかじ付きクオドルプルで沼津東が3位になった。 

 女子かじ付きクオドルプル予選で、最後尾から大逆転劇を演じて決勝に駒を進めた沼津東。勢いそのままに臨んだ決勝で堂々の3位。全国大会では、6年ぶりのメダルを同校にもたらした。

 「中盤での踏ん張りと力強さが売り」と主将野本が話したように、前半の遅れを取り戻そうと中盤以降は必死に前を追った。上位陣を後半でつかまえる得意のシナリオには持ち込めなかったが、最後の最後まで食らいついた。

 決勝に顔をそろえた4クルーは、中部大会の決勝の顔ぶれそのまま。上位2クルーには苦杯をなめさせられていただけに、メダル獲得の喜びとともに雪辱を果たせなかった悔しさも残る。

 5人は「いつまでも手が届かない相手と思っていては頂点に追いつかない。足りない物を夏までの練習で補いたい」と口をそろえた。佐藤監督も「全国総体までには必ず追いつきたい」と夏の大舞台での雪辱を誓った。

(静新平成22321日朝刊)



2010年03月19日 16時27分

平成22年3月19日(金):平成21年度 沼津市立第一中学校第61回卒業式
平成21年度第一中学卒業式
写真集を、↑の写真集2に掲載しました。

2010年03月15日 11時41分

ディズニーランド出演

 あこがれのディズニーランド出演
 25日に演奏披露
 沼津一中 仕上げ練習に励む


 沼津一中吹奏楽部が25日、千葉県浦安市の東京ディズニーランドで演奏を披露する。出演は2月に決まり、「最も狭き門」と言われる春休みの出場権を獲得した。今春卒業した3年生と部員の30人は、あこがれの舞台に向け練習に励んでいる。
 本番では25分間、メドレー2曲と木管アンサンブル「星に願いを」「ミッキーマウス・マーチ」の計4曲を披露する。同部はトランペットなどの金管楽器を設けない異色の木管編成で、芹沢淳顧問がその魅力を際立たせようと、普通編成の曲をアレンジして指導を続けている。「部員の頑張りでコンクール県大会で金賞をとれた記念に出演を狙った」と振り返る。
 合格通知を受けてから、引退した3年生も集め急きょ練習の日程を組み練習をしているが、仕上がりは順調。2年の高木彩部長は「ディズニーの世界を表現して観客を楽しませたい」と意気込む。卒業式を済ませた前部長の川口純奈さんは「部活仲間とは最後の舞台。思い出をかみしめて演奏したい」と話した。
 出演に先立ち、22日午後1時半から、沼津市丸子町の同校でお披露目の演奏会を開く。希望者は直接会場へ。
(静新平成22年3月15日朝刊)

2010年03月06日 17時22分

沼東新聞部「快挙」

沼津東が「快挙」・高校新聞コン

20100223日(アサヒコム)

 

 第39回全国高校新聞コンクール(大東文化大学主催、朝日新聞社など後援)で、沼津東高(栗原進校長、沼津市岡宮)新聞部=写真=が上位5賞の一つ「大東文化大学学長賞」を獲得した。全国145校の中から選ばれ、昨年の優秀賞から躍進を果たした。表彰式は3月5日、朝日新聞東京本社(東京都中央区築地)で行われる。

 「沼津東高校新聞」は60年以上の伝統を持つ新聞。上杉剛嗣教諭の指導のもと、16人の部員が活動している。

 今回受賞した学長賞は「紙面構成と文章表現力に優れた紙面」に与えられる賞で、部長の田村明日香さん(2年)は「左右の面が一体感を持つように工夫しました。また、紙面全体にテーマを持たせたのも良かったかも知れません」と話す。

 受賞作のある号のテーマの一つは「実り」。理数系離れが言われる中、同校理数科を特集した。自らも同科で学ぶ古澤星子さん(1年)は「理数科では豚の解剖や電子顕微鏡を使った実験など、普通科では味わえない体験ができます。きっと将来に結びつくと思います」と魅力を語る。

 センターページの見開きは「金太郎のさと 小山町」を取り上げた。「金時娘」と呼ばれる女性のインタビューや金太郎ゆかりの地巡りの記事を、金太郎の像の写真を中央に置く大胆な紙面構成で表現した。担当した海野明美さん(2年)は「この企画があったからこそ小山町を訪れ、知る機会ができた」と振り返る。

 副部長の佐藤未歩さん(2年)は、同校が修学旅行の代わりに行っている高原教室の魅力を探求。「単なる山登りだと思っていましたが、実際に体験すると、登山コースごとに魅力があり、友人たちとの絆(きずな)の深まりも味わえた」という。

 伊豆の国市の病院のドクターヘリを取材したのは副部長の志村瑛里さん(2年)。実際の出動に立ち会うことができ、「1機を飛ばすために本当に多くの方がかかわっているんだということを改めて実感しました」と話した。

 田村部長は「多くの先輩が積み重ねて来てくれたものが評価につながっている。この水準を後輩たちにすべて引き継ぎ、さらに進歩できるようにしていきたい」という。

 御殿場南高、沼津東高と15年間にわたって新聞部の顧問を務めてきた上杉教諭は「すばらしい賞を頂き感無量。生徒が自覚を持ってやってくれているので、その自主性を尊重しながら特色ある新聞をつくっていってほしい」と話している。


2010年03月06日 17時02分

沼一中:県中学選抜野球出場

県中学選抜野球

 春の県王座を争う第40回県中学選抜野球大会(県野球連盟、静岡新聞社・静岡放送主催)6日、島田、焼津、浜岡の3球場で開幕する。東中西各地区から選ばれた32校がトーナメント方式で熱戦を繰り広げる。決勝戦は21日午後1時から島田球場で行われる。
(静新平成22年3月5日朝刊)


代表旗を先頭に入場行進する沼津一中の選手(静新6日夕刊)


沼津一中

 (沼津、初出場)

 堅実な守備とつなぐ野球を目指す。投手は直球が武器の西田、安定感が出てきた川口、星の3本柱。西田は制球力がついてきた。攻撃は、西田や主将保坂らが小技を絡めて出塁し好機をつくる。守備は失策を減らすことが鍵。


2010年02月26日 16時04分

一中同窓会副会長:伊東氏の静新記事


 県弁護士会の次期会長
 伊東哲夫(いとう・てつお)さん
 市民が司法に参画する裁判員制度の施行(2009年5月21日)から間もなく1年。3月には否認事件の公判も予定され、制度の真価が問われる中、県弁護士会の"司令塔"を担う。「司法制度改革をどのように定着させるかの岐路に立っている。弁護士に対する研修制度を充実させたい」と決意を見せる。
 弁護士を目指したのは73年度の県弁護士会会長で同じ弁護士の父清重氏の影響だ。「自分のペースで仕事をする父の姿を見て、弁護士になろうと決意した」と振り返る。
 79年に司法試験に合格し、82年に弁護士登録した。「勝つべき事件は負けてはいけない、負けるべき事件は勝ってはいけない」という父親の教えを胸に、民事訴訟を中心に弁護士活動をしてきた。
 02年4月には破産した静岡商工資金協同組合の破産管財人に就任し、債権者との間に立って処理に奔走した。現在は沼津市人権擁護委員、日本司法支援センター(法テラス)静岡地方事務所沼津支部長なども務める。
 会長就任で取り組むべき課題に「裁判員裁判対策の充実」を挙げた。これまでの裁判員裁判について「裁判員に対するアピールが検察官に比べて不足していると思う」と懸念を示し、若手弁護士の裁判員裁判研修の義務化を図る考えだ。
 趣味はゴルフ、旅行、スポーツ観戦。特に高校野球は毎年欠かさず甲子園を訪れるほどのファン。沼津市出身。62歳。
(静新平成22年2月26日(金)「時の人」)

2010年02月26日 15時59分

一中同窓会副会長:内田氏の静新記事


あげつち商店街振興組合理事長
内田祥一(うちだよしかず)さん(沼津市)
 沼津市の「あげつち商店街振興組合」理事長。上土朝日稲荷神社にちなんだ奇習「キツネの嫁入り」行列を半世紀ぶりに復活させた。「洋服のノーブル」店主。58歳。
 ー感想を聞かせてください。
 「成功、不成功ではなく、『ありがたかった』という気持ちがすべて。一つのイベントから、さまざまな人とのかかわり合いが生まれることを学んだ。多くの人が、幸せを実感したと思う」
 ー「稲荷市」も3月で1周年を迎えるなど、あげつち商店街に勢いを感じますが。
 「不況は誰もが分かっている。その上で皆、あげつち商店街を元気にしたいと思っている。何かを始める時、『よしやろう』となる団結力も商店街の魅力だ」
 ー「キツネの嫁入り」は来年以降も継続させていきますか。
 「『わたしもキツネの化粧をしたい』と思ってもらえる、沼津の名物行事にしたい。続けていく中で、キツネの化粧コンテストといった試みも生まれるかもしれない」
 ◇
 キツネ化粧のまま飲食店へ。思いがけない人気ぶりだったという。
(静新平成22年2月26日(金)「この人」)

2010年02月04日 19時29分
幹事より写真とたよりが届きました。

123日同期会幹事よりのたより」

 2010123日は、恩師を囲んでの同窓・同期の方々との楽しい時間を過ごさせてもらいました。

 幹事一同、心より多くのご出席とご協力に感謝するとともに、ここに再会を約しての「思い出」を送らせていただく運びとなったことをご報告し、併せて御礼を申し上げます。

 20101月吉日                                              幹事一同

 追伸;

 「澤田かほる先生」のお名前「かおる」を「かほる」に、住所「下香貫」を「上香貫」に、手違いお詫びして修正します。

 出席者○印に「林(石神)幸子」を追加、同期54+恩師4で計58人が集まっての会となりました。

 逝去会員(物故者)として石田英昭、早川新平の両名を洩らしていました、合掌。

※大庭君(プロ)撮影の集合写真を「写真集2」に追加しました。
写真集2のアルバムでの写真は拡大できます、ご覧下さい。

 では、2011.8月にお会いしましょう、お元気で…


2010年01月24日 22時01分
東高16期同期会1平成22年1月23日開催
東高16期同期会が平成22年1月23日(土)開催されました。
その時の写真を上段の「写真集2」に、動画を「同窓会動画」に掲載しました。
同期の皆様ご覧下さい。懐かしい顔と声を思い出して下さい。
尚、当日ご出席賜りました恩師の方は近藤先生、五月女先生、澤田先生、畑先生です。
又、写真については大庭写真館の画像の良い写真が届き次第、追加しますのでそれまではご勘弁を。

2009年12月16日 11時53分

訃報大:古田和彦氏(東高16回卒)永眠

山本被服株式会社会長

 大古田和彦(六十三歳)儀十二月十三日永眠いたしました

ここに生前のご厚誼を深謝し謹んでご通知申し上げます

 追って前夜式並びに告別式は左記の通り執り行います

 一、前夜式十二月十六日()午後六時三十分

 一、告別式十一一月十七日()正午

 一、式場日本キリスト教団 沼津教会

 沼津市末広町九五(市保健センター交差点西)

 勝手ながらお花料、御供花はご辞退申し上げます。

また、式場は駐車場がございませんのでバス、
タク
シー等をご利用下さるようお願い致します。

 平成二十一年十二月十六日

 沼津市岡宮一四四三ー一七

 喪主 大古田偕子

 外 親戚一同

 山本被服株式会社


2009年12月11日 15時19分
 東高16回卒同窓会のお知らせ
  東高16回卒同窓会のお知らせ
 今年もあと数週間となりましたが,皆様いかがお過ごしですか?
 さて,この度,東高第16回卒業生同窓会を下記の通り開催致します。来年は65歳を迎える方も多く,いよいよ"高齢者"の仲間入りとなりますが,久しぶりに恩師の方々を囲み,かつての香陵の地で過ごした青春時代を思い出しつつ,楽しいひと時を過ごしましょう。お忙しい時期とは存じますが,皆様のご参加をお待ちしております。
 なお,出席,欠席かを御記入の上,1月10日までに返信下さいますようお願い致します。
        記
 日時:平成22年1月23日(土)17時〜19時
 場所:万来軒2F(TEL O55-951-6138)沼津市大手町5-4-11
 会費:8000円予定(写真代込み)
 この同期会は、岩崎賢一郎、稲村稔、小野靖、佐野(柳下)和子、野木(会田 )典子、端山茂樹、光藤(鈴木)あさ美、村松敏弘、望月國久、山田勝造、神尾一が幹事です。



2009年11月16日 11時02分
沼津東、7年ぶりにV
 県高校新人ホッケー 沼津東、7年ぶりV
 ホッケーの県高校新人大会は14、15日、清水町総合運動公園多目的スポーツ広場で男子のリーグ戦を行い、沼津東が7年ぶりに優勝した。
 沼津東と女子の沼津商が12月19〜21日、同会場で開かれる東海大会に出場する。
 堅守でインフル禍を克服
 ○…男子は沼津東が3戦全勝で7年ぶりの優勝を決めた。大会前に出場メンバーの半数がインフルエンザにかかり、十分な練習を重ねることができなかったが、安定したディフェンスで他を圧倒した。
 初戦で前年優勝の伊豆中央を下したことが不安を取り払い、チームを波に乗せた。療養のため当日までスティックを握れなかったメンバーもいた中で、守りの戦いができたのは「6月から練習前に約5`の走り込みを続け、体力をつけてきた」(坂木亮太主将)から。
 攻撃では「不安があった分、声を出すことを意識した」というセンターハーフの栗山友之が活躍し、3試合すべてで得点した。
 「チーム内のポジション争いがいい雰囲気につながってきた」と白石隆監督。坂木主将は「勝ちたいという気持ちが体を動かした。東海大会では失点を許さぬようさらに守備力を上げていきたい」と意気込む。
(静新平成21年11月16日(月)朝刊)

2009年09月23日 19時11分
第25回香陵同窓会ゴルフ大会、16回期生成績。
 各賞飛び賞なし
 全員参加賞をいただき散会となりました。来年に期待。
 (高16回期参加者)。


2009年09月05日 11時48分
第32回 躍雲祭
 

32回 躍雲祭のご案内

 爽やかな初秋の季節となりました。皆様にはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
 さて、本年度も生徒会を中心に『一中生よ栄光に向かって飛翔せよ!』のスローガンのもと、第32回躍雲祭を下記により開催いたします。
ご多用とは存じますが、ご来場いただき、生徒たちの日ごろの学習成果をご覧の上、激励くださいますようご案内申し上げます。

 

 1 平成21918()『躍雲祭文化の部』

 (1)時間 ・910分〜1210

 (2)会場 ・沼津市立第一中学校体育館

 2 平成21919()『躍雲祭体育の部』

 (1)時間・830分〜1450

 (2)会場・沼津市立第一中学校グランド

 ※体育の部当日雨天の場合は、920()に延期します。


2009年09月05日 09時42分
訃報:瀬戸和海氏(東高14回卒・元沼津香陵同窓会会長)
 瀬戸和海氏(せと・かずみ=元弁護士)。
三日午後十一時二十分、死去した。六十六歳。自宅は我入道秋葉町四二四の一。
 通夜が六日午後七時から清水町久米田の駿東平安典礼会館で行われ、出棺は七日午前十一時半、正午火葬、葬儀・告別式は午後三時から同会館で。喪主は妻の麗子さん。
 瀬戸氏は、旧制沼中・東高地元同窓生組織の沼津香陵会会長を務めた。
(沼朝平成21年9月5日(土)号)
 

2009年09月01日 18時45分
宇野統彦沼津商工会議所副会頭(沼一中12回・東高16回卒)
 
 宇野統彦氏(沼一中12回・東高16回卒)
 沼津と映像作品の関わりは、これからどうなっていくのか。
プロジエクト実行委員長の宇野統彦さんにお話を伺いました。
 「さあ来いハリウッド!大作戦」。
 このプロジエクトは1年間で「口ケーション情報ライブラリー」を中心に作り上げていくものですが、完成後も常に新しい情報に更新していく必要があります。
 また、今年ロケーション情報ライブラリーを作ったからといって、すぐに映像作品の撮影が沼津でたくさん行われるようになり、経済的な効果が表れる、ということはないでしょう。その効果は来年以降じわじわと出てくるはずです。
 プロジエクトには市民の皆さんをはじめ、たくさんの方々が関わってくれています。
 この取り組みは、どなたでも参加することができますし、また、多くの市民の皆さんにご協力をいただかないと、充実したプロジエクトにはならないでしょう。私たちは、皆さんに協力を得るという過程を大切にしたいと考えています。
 事業を通して、身近にあるのに気がつかなかった、沼津の魅力を再発見することがきっとあると思います。
 その時に生まれる、郷土を愛する気持ち。それを、さらに多くの皆さんに持っていただくことが、このプロジェクトの一つの成功と呼べるのではないでしょうか。
(広報沼津09年9月1日号)

2009年08月28日 21時12分
尾林達成君
 平成21年8月28日(金)
 尾林達成君沼津で一時を過ごす。
 その時の動画を上段の「同窓会アニメブログ」に掲載中。
 (左の写真の女性は小生の家内です。)

2009年08月12日 08時59分

第25回香陵ゴルフ大会案内


2009年07月29日 10時44分
富嶽あしたか牛すき弁当(桃中軒:宇野統彦社長)
「あいたか牛ふんだんに」
 新作駅弁の試食会長泉
 長泉町特産のあしたか牛をふんだんに使用した桃中軒(沼津市)の新作駅弁「富嶽あしたか牛すき弁当」(仮称)の試食会が28日、同町役場で開かれた。同社は8月下旬の販売開始を目指す。
 同社は昨冬、同町の特産品を盛り込んだ季節限定の駅弁「長泉旬便り冬うらら」を販売。その後、「あしたか牛をメーン具材にした駅弁はできないか」という意見が数多く寄せられたため、新たな駅弁を開発した。
 あしたか牛や長ネギ、シラタキをすき焼き風に味付けし、大胆にも一面に敷き詰めた。JAなんすんの協力で同町周辺の地場野菜も添えた。春は大根、夏はカボチャという具合に、季節ごと野菜の種類を変えるという。
 試食会に参加した町職員やJA、商工会関係者からは、「ボリューム満点」「もう少しアクセントがほしい」「名称に長泉を入れてみては」などの意見が上がった。価格は930円(税込み)でJR沼津、三島両駅での販売を予定。同社担当者は「『港あじ鮨』と並ぶ駅弁の主力商品に育てていきたい」と話している。
(静新平成21年7月29日(水)朝刊)



2009年07月25日 15時40分
沼東09夏終わる

2009年07月24日 11時34分
静岡大会3回戦
 沼津東、下田振り切る
 ▽3回戦(草薙第2試合)
 沼津東 000001020=3
 下田 000010000=1
 ▽三塁打森(下)▽二塁打高木、鈴木健吾(沼)▽守備妨害横山(下)
 ▽試合時間2時間10分
 【評】沼津東が終盤の好機をものにし、下田を振り切った。
 沼津東は五回に先制を許したが、六回、高木の中越え二塁打が敵失を誘い、一気に生還。同点で迎えた八回には2四球で2死一、二塁とすると、4番鈴木 健吾が右中間二塁打を放ち、3ー1と勝ち越した。投げては鈴木健太が9安打 を浴びながら1失点に封じた。
 下田は勝負どころであと1本がでなかった。
【 値千金4番が決勝打
 ○…沼津東の4番・鈴木健吾が試合を決めた。1ー1で迎えた八回2死一、二塁、右中間を抜ける適時二塁打を放ち、決勝の2打点。「それまで結果が出てなかったのでホッとしました」と笑顔で振り返った。
 3打席凡退で迎えた第4打席だった。軟投派の相手投手に苦しみ、内野ゴロを3回続けていた。「それまで打たされていたので、しっかり振ることだけを考えた」。初球、低めの直球をフルスイング。値千金の適時打となった。
 濃霧のため順延となった前日は4時間待機した末の中止の報告に「がっかりした」という。それでもその後、学校でフリー打撃などの練習を行ったことで気持ちを切り替えられた。
 1日越しの16強にも浮かれた様子はない。次戦は第1シードの静岡学園。「強い相手だけど、倒すつもりで向かっていきたい」と頼れる4番は言い切った。】
(静新平成21年7月24日(金)朝刊)

2009年07月20日 09時39分
静岡大会2回戦

 沼津東が先発全員安打
 ▽2回戦(島田第1試合)
 遠江総合 000001000=1
 沼津東 00031012×=7
 ▽三塁打 山本(沼)▽二塁打榊原、大場央(遠)高木、鈴木健吾(沼)
 ▽試合時間2時間23分
 【評】沼津東が先発全員の15安打で7点を奪い、遠江総合を振り切った。
 沼津東は四回、高木の中越え二塁打、岡の内野安打と盗塁で1死二、三塁とすると、鈴木健太の左前打で2点を先制。さらに小松の左前打で1点を追加した。五回以降も長短打を絡めて加点し、試合の流れを完全に呼び込んだ。
 7安打を挙げた遠江総合は好機を生かせず、六回に1点を返すにとどまった。
(静新平成21年7月20日(月)朝刊)

2009年07月12日 15時28分
平成21年香陵同窓会・沼津香陵会総会案内
 開催日:平成21年8月1日(土)
 場所 :沼津東急ホテル(沼津市上土町・055−962−2411)
 時間 :15時〜
 講師 :佐藤 雅彦氏(67回)

2009年06月27日 09時08分

東高新聞部の話題がトータルテンボス大村(香陵同窓生)さんが紹介
新聞部の話題が東高OBのお笑い芸人、トータルテンボス大村さんのブログで先日取り上げられましたので、ご報告いたします。 
http://totalohmura.laff.jp/blog/2009/06/post-dcd1.html 

2009年06月21日 10時21分
日記のタイトル

「香陵同窓会総会・第25回沼津香陵会総会」案内

会員各位 20096月吉日

 香陵同窓会会長 井口賢明

 沼津香陵会会長 大古田一郎

 当番回期代表(57) 小野 毅

 「香陵同窓会総会」並びに「第25回沼津香陵会総会」を下記の  通り開催いたします。

お誘い合わせの上ご出席下さい。

 ■日時平成2181日(土)受付15:00

 ・総会 15:3016:30

 ・講演 17:0018:00

 ・懇親会 18:3020:00

 (司会SBSアナウンサー 水野涼子)

 ■場所 沼津東急ホテル

 (沼津市上土町 TELO55-952-2411)

 ■会費 7,000(当日受付にて)

 講演

 東京藝術大学大学院映像研究科教授,

 慶慮義塾大学特別招聰教授

 講師 佐藤雅彦氏(香陵67)

 演題 作り方を作る


2009年06月19日 11時13分
宇野統彦氏(沼一中12回・東高16回)の新聞記事
「映画ロケ誘致へ始動」
プロジェクト実行委 関係者ツアーなど展開
 沼津市に映画やドラマの撮影を誘致し、観光交流人口の増加を目指す「さあ来い、ハリウッド!大作戦ロケでまちが元気になるプロジェクト」の第1回実行委員会(実行委員長・宇野統彦沼津商議所副会頭)が沼津商議所で開かれた。
 観光や交通、食品、広告、行政などの関係者34人が顧問と委員に委嘱された。撮影に適した場所の情報約1000件を収集・整理した「ロケーション情報ライブラリー(L.L)」を11月をめどに構築し、映像製作者に沼津の魅力を紹介するロケーション・ハンティング・ツアー(ロケハンッァー)や、ロケ弁コンテストなどを展開する事業計画を承認した。
 宇野実行委員長は「100人規模のロケ隊が1カ月間滞在したときの地元経済効果は数億円とも言われる。すべての事業が実施できれば観光振興の強力なコンテンツとなる」とあいさつした。
 同委員会には、映像作品撮影の県内誘致に取り組むNPO法人フィルム微助人(金子恭子理事長)がノウハウを提供する。「L.L」「ロケーション・ハンティング・ツアー」「ロケ弁コンテスト」「広報シンポジウム」「ロケ支援」の5部会で、映像製作者に紹介する沼津の地域資源を掘り起こすのと同時に、ロケ部隊を市内で受け入れる態勢や環境の整備、人材育成を進める。
 11月下旬にL.Lなど同プロジェクトをPRする会合を開き、ロケ弁コンテストの表彰やシンポジウムを開催する予定。
(静新平成21年6月19日(金)朝刊)

2009年06月09日 12時22分
沼東・沼商定期戦

沼東・沼商野球定期戦

沼津商、86で沼津東制す

 沼津商業高と沼津東高の第32回野球部定期戦(両校主催)7日、裾野市今里の市運動公園野球場で開かれた。

 定期戦は昭和2年に始まり、第2次世界大戦の影響で一時途絶えていたが、昭和53年に復活して以来、毎年6月の第1日曜日に開いている。

 12年生による新人戦の後、栗原裕康沼津市長が始球式を行い、夏の大会に出場するレギュラー選手の定期戦が始まった。前半から点の取り合いとなり、沼津商が二回に3点、三回に2点と徐々に差をつけ、沼津東は九回に1点を返したものの及ばず、86で沼津商が勝った。実業団チームなどで活躍している2030代を中心とした野球部OBによる交流戦も併せて行われた。

(静新平成2169()朝刊)




2009年06月01日 13時00分
 沼津東V3 女子かじ付きクオドルプル
 沼津東V3 女子かじ付きクオドルプル
 ○…3年連続で女子かじ付きクオドルプルを制した沼津東。3週間前にクルーとなった2年生小林はゴール後、ボート上で大粒の涙をこぼした。クルーの中で3年生は主将の伊倉のみ。
「先輩にとっての『最後のレース』にだけはしたくなかったので」と振り返る小林の姿に伊倉も思わず照れ笑い。2年生のコックス高嶋は、クルーに疲れが出始めたレース中盤の500b辺りから、「全国へ行こう」と無我夢中で叫び続けた。
「(3月の全国高校選抜で)準決勝で敗れた悔しさをバネにみんなでやってきた。後悔はしたくなかった。今は感謝の気持ちでいっぱい」。主将の言葉に、クルーたちが何度もうなずいた。
(静新平成21年6月1日(月)朝刊)





2009年05月16日 13時13分
柴田稔君お通夜後に
5月12日柴田稔君お通夜の後、何年かぶりにお会いした、
 東高16回期の面々。(写真提供鳥潟君)
 (上杉君はお通夜からお帰りになり、写っておりません)
 又、↑の写真集2の16回ミニミニ同期会アルバムに
 通夜にお出でになった、同期の写真を追加掲載してあります。


   訃報新聞記事
 柴田稔氏(しばた・みのる)
9日午後10時41分、死去。63歳。自宅は三島市緑町20の37。
告別式は13日午後1時から清水町久米田69の8の駿東平安典礼会館で。
喪主は兄輝(あきら)氏。
(静新平成21年5月11日「訃報」)
沼一中12回・東高16回同窓会たより

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コラム

室伏稔氏「私の履歴書沼中時代抜粋」

復活沼一中12東高16HP

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この国の進むべき道:松井俊一著

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